ゴジラが21年ぶりの聖地訪問を堪能した。巨人、ヤンキースで活躍した松井秀喜氏(39)が8日、夏の甲子園大会第1日を観戦した。当初は開会式と第1試合のみを観戦予定だったが、松井氏の強い希望で3試合目まで延長。大阪桐蔭の森友の2本塁打や、母校星稜とかつて熱闘を繰り広げた箕島の一戦を見届けた。伝説の5打席連続敬遠で敗れた92年夏の大会以来となる甲子園を、肌で感じた。

 松井氏は甲子園を離れようとしなかった。観戦予定の第1試合が終わっても、帰路につかなかった。第2試合では大阪桐蔭・森友の甲子園通算4、5号となった2打席連発を目撃した。松井氏が甲子園大会で活躍した21年前には、生まれてもいなかった18歳の左の強打者が自身の通算4本塁打を超えていった。第3試合では星稜が79年に延長18回を戦い抜いた箕島が登場。「僕の在校のころも、あの試合というのは我々の誇りだった」。その好敵手の29年ぶりの夏を「箕島が見たかった」と見届け、約12時間の聖地再訪を終えて、球場を後にした。

 高校野球での甲子園に92年夏以来、足を踏み入れた。ネクタイは星稜カラーの黄色、ジャケットも星稜のアンダーシャツの青色に合わせて正装した。「分かっちゃいました?

 今日は意識しました」。久々の風景を目にすると走馬灯のように思い出がよみがえった。足が震えるほど緊張した初出場の一戦、伝説となった5打席連続敬遠…。「当時の記憶が自然とよみがえった。懐かしかった」と感傷に浸った。

 開会式前には、一塁側ベンチから“選手目線”でグラウンドを見渡した。「高校時代はたまに一塁側に行ったけど、三塁側の記憶の方が強く残っている」。最後の夏も三塁側。一塁側は懐かしくもあり、新鮮な光景に映った。

 選手入場では6年ぶりに出場した星稜の後輩たちの行進に目を細めた。「OBの1人として誇らしく見ていた。星稜の行進は伝統的に元気良くなので、その姿を見られてうれしかった」。5打席連続敬遠の因縁の相手である明徳義塾のユニホームにも「懐かしいという気持ちです」と優しく笑った。

 甲子園の熱気を感じ、ブラスバンドの応援を耳にし、球場内のレストランで昼食を取った。まさに五感で体感した。

 松井氏

 球場自体は新しくなったけど、それ以外はすべて変わらない。プロ野球で来るときとは雰囲気が違う。巨人で常に伝統の一戦を戦ったが、まったく違う表情ですね。ここで経験したことは、その後の野球人生において非常に大きなエネルギーを生んだ。原点だと思う。

 甲子園に愛された男は、甲子園をほれ直していた。【広重竜太郎】<松井氏と甲子園>

 ◆1年夏

 4番一塁で初出場。日大鶴ケ丘(西東京)戦の初打席は四球。3打数無安打で初戦敗退した。

 ◆2年夏

 4番三塁で出場。2回戦の市立沼津(静岡)戦で初安打、3回戦の竜ケ崎一(茨城)戦で初本塁打を放った。準々決勝で上田(現中日コーチ)を擁する春準Vの松商学園(長野)を破ったが、準決勝で大阪桐蔭に敗れた。

 ◆3年春

 開幕戦で宮古(岩手)と対戦し、2打席連続本塁打を含む4打数4安打、当時大会タイ記録の7打点。2回戦の堀越(東東京)戦で2試合連続本塁打。準々決勝で天理(奈良)に敗れた。

 ◆3年夏

 1回戦は長岡向陵(新潟)から4打数1安打。2回戦で明徳義塾(高知)から5打席連続敬遠され、2-3で敗れた。

 ◆通算成績

 10試合32打数11安打4本塁打13打点、打率3割4分4厘。44打席で12四死球。チーム最高成績は2年夏の4強。