松山東(愛媛)が甲子園に戻って来た。第87回選抜高校野球大会(3月21日開幕、甲子園)の選考委員会が23日、大阪市内で開かれ、21世紀枠での松山東など3校を含め、32校を選出した。松山東は正岡子規、高浜虚子ら明治の偉人を輩出した伝統校で、春史上最長ブランクを塗り替える82年ぶりの出場。組み合わせ抽選会は3月13日に行われる。

 伝統校が史上最長ブランクを経て、野球の聖地に帰ってくる。松山東にセンバツ切符が届けられた。一報が学校に入ったとき、選手は授業中。午後3時半に授業を終え、すぐにユニホームに着替えてグラウンド集合。堀内準一監督(48)を胴上げして喜び、取材を終えるやいなや、同4時過ぎには練習の準備に取りかかった。そう、彼らには1分でも、1秒でも野球に費やす時間が欲しいのだ。

 文部科学省から「スーパーグローバルハイスクール」に指定される進学校。現在も夏は19時10分、冬は18時40分に、生徒の完全下校時間が定められている。野球部も例外ではない。練習時間に制限がある。練習場所も70メートル×100メートルのグラウンドをサッカー部とラグビー部、ハンドボール部と共有する。土、日曜日にグラウンド全面を使用できるが、こちらも時間制。平日に野球部が使えるのは内野ほどのスペース。決して恵まれた環境ではないが、効率の良い練習で成果を上げている。

 フリー打撃はバックネットに向かって3カ所で行い、空いたスペースで走塁練習や守備練習。グループに分けてローテーションでメニューを回し、効率アップに励む。広々とフリー打撃できるのは週末や、練習試合の相手の協力を得て遠征先で打たせてもらうときだけだ。それでも選手は前向き。「移動を1分でも2分でも縮めればより練習ができる。強豪校よりも自主練習の時間が長いことが僕らの強みです」。そう力強く話す米田圭佑主将(2年)は、宿題や予習は学校の休み時間に済ませ、帰宅後はペンを握らずに1日1000回の素振りを欠かさない。選手が感じたことを踏まえ主将が監督に練習メニューを提案することもある。そんな部員の姿に「集中力や人の話を聞く能力は負けない」と堀内監督も胸を張る。

 正岡子規が創部に関わったとされ、夏目漱石が1年間教壇に立ち、その経験をもとに小説「坊っちゃん」を書き上げた。野球を愛し、野球の普及に貢献した先人たち。その思いを受け継ぐ球児たちが今春、甲子園の舞台に立つ。【前原淳】

 ◆松山東

 1878年(明11)に愛媛県松山中として創立された県立校。藩校・明教館の流れをくむ県内最古の高校。愛媛県尋常中学時代に夏目漱石が1年間教壇に立ち、その経験をもとに小説「坊っちゃん」を書き上げた。1949年から現校名で、50年から男女共学。生徒数1068人(女子525人)。正岡子規が関わったとされる野球部創部は1892年で、部員数は31人。高浜虚子、大江健三郎氏ら著名人を多数輩出。松山市持田町2の2の12。藤田繁治校長。

 ◆スーパーグローバルハイスクール

 文科省が、急速にグローバル化が加速する現状を踏まえ「将来、国際的に活躍できるグローバル・リーダーを高校段階から育成する」ことを目的に14年度から新設した。全国で56校。東京では、早大学院、お茶の水女子大付、筑波大付などが指定されている。

 ◆正岡子規

 (まさおか・しき)1867年(慶応3)、伊予松山(愛媛県松山市)生まれの俳人、歌人。松山中(現松山東)を中退して上京。帝国大学文科(現東大)に進み、日清戦争では従軍記者として中国へ。その後、松山に戻り、野球の普及にも貢献した。野球を愛し、幼名「升」(のぼる)から「野球」(のぼーる)の雅号も用いた。1902年(明35)、34歳で死去。02年に特別表彰で野球殿堂入り。

 ◆21世紀枠

 01年導入。推薦校は原則、秋季都道府県大会のベスト16以上(参加128校以上はベスト32以上)から選出。練習環境のハンディ克服、地域への貢献など野球の実力以外の要素も選考条件に加える。07年まで2校、08年から3校を選出(記念大会の13年は4校)。東、西日本から1校ずつ、残り1校は地域を限定せずに選ぶ。