元ロッテ監督で巨人ヘッドコーチも歴任した、山本功児氏が、23日午後1時41分に肝臓がんのため、福岡県北九州市内の自宅で死去した。64歳。

 「だれがそんなことを言っているんだ!」。鬼の形相とはこのことか……。2002年9月13日。福岡ドーム(現ヤフオクドーム)の三塁側のベンチ裏に呼び出された。その日の紙面で、当時、在籍していた外国人選手が解雇されるという記事を書いた。それを遠征先で知った身長190センチ近いユニホーム姿の山本さんが迫ってきた。

 監督4年目。過去3年はBクラス。背水の陣で臨んだこの年もまさかの開幕11連敗。今のようにクライマックスシリーズもない。開幕時の借金生活が重くのしかかり、監督としてもチームとしても苦しい状況は続いていた。

 だが、山本さんはあきらめていなかった。「1つでも、2つでも負け数を減らしたいんだ」。勝ったり負けたりの状況だったが、若手野手の打撃練習に身ぶり手ぶりを交え1時間でも2時間でも付き合い、不振にあえぐ外国人選手にも丁寧にアドバイスをしていた。

 まだ試合数を残しての外国人解雇報道。該当選手もチームに同行していた。これと決めたことはなかなか変えない頑固な性格。時にはフロントとの軋轢(あつれき)も生んだ。「1年間でプロ野球の監督ができるのは12人しかいないんだ」。どんなことを書かれようが、フロントが来季の構想を考えようが、最後まで勝つことにこだわっていた。野球の話になると止まらない。身ぶり手ぶりを交え…。プロ野球の監督の意地。直立不動で山本さんと目を合わせるのが精いっぱいだった。【2002年ロッテ担当 横山元保】