日本一になります-。カープOB山本一義氏(享年78)の訃報から一夜明けた4日、広島緒方孝市監督(47)が日本一へ誓いを新たにした。9月17日に死去した山本氏には現役時代、94年からチーフ兼打撃コーチとして教えを請い、監督就任後も叱咤(しった)激励を受けてきた。悲しみを胸にしまい、前に進んでいく決意を語った。

 蒸し暑さが残るマツダスタジアムで、緒方監督はいつもと変わらずナインの動きに目を光らせた。所用でチームを離れた前日、現役時代に指導を受けた山本一義氏の訃報を関係者からの電話で知った。勝たなければいけない理由が、また1つ増えた。

 「監督に就任してから唯一、叱ってくれる人だった。それがすべて。叱ってくれるし、褒めてくれる。この立場になると、なかなかいない。今年の初めも電話でしか話してないんだけど、力強い声でね。『悔いのないように采配を振れ、自分を信じて戦え』と…。優勝して、会って報告したかった。最期に会うことができず、悔いが残る」

 就任して初めて「監督は孤独」だと知った。だが、孤立してはいけない。人としての教えは、現役時代と何も変わらなかった。山本氏がチーフ兼打撃コーチに就任した94年。廿日市市にある大野練習場まで広島市内から車で往復2時間、送迎したこともあった。「野球のすべてを教えてもらった。野球のユニホームを着ているとき、着ていないときの過ごし方を教えてもらった」。春季、秋季キャンプでは、1時間を超えるミーティングも珍しくなかった。「すべてあのミーティングから始まっている。『どうかひとつ-』が口癖だった。思いと行動を一緒にしなければならない。それは今年、打撃コーチがやってくれている」。教えは今も広島に息づいている。

 伝統を受け継いだチームが25年ぶりにリーグ優勝し、32年ぶりの日本一を目指している。「結果を残して報告することができれば、それが一番の恩返しになる。ここ数年、自分の恩師が次々にいなくなって、本当に悲しい」。今年1月には村上孝雄スカウトが亡くなった。現役を引退した09年に三村敏之元監督、コーチ時代の13年には母校鳥栖高校の監督だった平野国隆氏を亡くした。自分を育ててくれた恩師のためにも、日本一を、どうかひとつ-。【前原淳】