阪神鳥谷敬内野手(36)が8日、DeNA18回戦(甲子園)でプロ野球史上50人目の通算2000安打を達成した。2回1死一塁、DeNA井納から右中間を破る二塁打を放った。14年目での到達は日本人ではプロ野球最速タイ。何度となく重傷を負いながらも連続試合出場を続け、1本1本を積み重ねてきた。仲間との絆を胸に、昨季の絶不調から完全復活を果たした。

 鳥谷コールが鳴りやまない。甲子園右翼席へ、背番号1は照れくさそうにペコリと頭を下げた。そして友が見守っているであろう夜空にヘルメットを掲げた。

 「打席に入った時の歓声がすごかった。顔にボールが当たった後、最初に代打で出た時を思い出しました。ファンの方々の声援が後押ししてくれましたね」

 2点を追う2回1死一塁。井納のスライダーを右中間へ。適時二塁打で2000安打を達成した。

 「あきらのおかげで、今年もみんなが集まれているよ。ありがとな…」

 寒空の元日。鳥谷は墓石に優しく語り掛ける。埼玉・入間市内の高台。片方には聖望学園の校舎、もう片方には同校野球部の下川崎グラウンドが見渡せる場所に墓がある。

 「忘れるわけないよ。もう14年か。早いよな…」

 あれは雪が舞う日だった。早大3年生だった03年1月1日。聖望学園野球部の同期、高橋聡(あきら)さんを亡くした。享年21。白血病だった。高校3年夏の埼玉大会ではベンチ入り、同校を甲子園初出場に導いた大切な仲間だった。

 「甲子園に出た後の2学期、3年生みんなで集合写真でも撮ろうかとなった。その時、突然『気分が悪い』って言い出してね」

 白血病で即入院。出席できなかった卒業式で高橋さんの名前が呼ばれると、野球部全員で「は~い!」と叫んだ。兄弟から骨髄移植を受け1度は退院。1浪で明大に進学し、鳥谷が出場する早大リーグ戦にも顔を出すようになったが…。再発。現実は残酷だった。

 「いいヤツだった。体はゴツいのに、いつも笑って優しくて。うちは夏の県大会中はみんなでスーパー銭湯に寝泊まりしたり、ずっと一緒で仲が良かった。あきらのことも、みんなが好きだったからね」