さらば、愛すべき背番号3-。日本ハム田中賢介内野手(38)が、今季最終戦の27日オリックス25回戦(札幌ドーム)でラストゲームに臨んだ。「2番DH」で先発出場し4打数2安打1打点。9回は志願して二塁守備にも就いた。通算1499安打で、節目には1本及ばず。2度の日本一、5度のリーグ制覇に貢献した球団史上最高の二塁手は、多くのハム党の涙と歓声に見送られ、20年間のプロ生活に終止符を打った。

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8回2死一、二塁。現役最後の打席は、あふれる涙でボールが見えなかった。号泣しながら振ったバットは、オリックス山岡のど真ん中直球にジャストミート。右翼フェンス直撃の適時打に、賢介カラーのピンクに染まった札幌ドームは、今季一番の興奮に包まれた。「ずっと我慢していたので、限界に達しました。打ち方とか忘れて、無我夢中だった」。涙の一打にベンチは総立ちとなり、もらい泣きする選手が続出した。

長男が始球式を務めたラストゲームは「2番DH」で、今季26度目の先発出場。第3、4打席で2打席連続安打を放ち通算1499安打としたが、節目へはあと1本足りなかった。「いつも、ちょっと足りない野球人生だった。なかなか1番になれなかった」。振り返れば、ドラフトも2位指名。だけど、それが賢介らしい。「壁にぶち当たり苦しくなった時、父は『逃げるな。正直に真っすぐ生きろ。コツコツ努力すれば必ず乗り越えられる』とメッセージをくれました」。最後のあいさつは、福岡から駆けつけた両親、米国時代を支えてくれた妻への感謝であふれた。

本拠地が東京だった頃を知る、数少ない選手だ。北海道へ移転したチームの歴史は、そのまま自らの歴史に重なる。「チーム改革が実を結んだのが06年の日本一。北海道にファイターズというチームが根づいた瞬間だった。レギュラーとして、ずっと優勝争いできたのは誇り」。2度の日本一、5度のリーグ優勝をすべて経験した唯一の存在だから「後輩たちには強いファイターズを取り戻してもらいたい」と、強く願う。

鳴りやまない“賢介コール”を浴びながら、ピンク色のライトが揺れる札幌ドームを一周した。「すべての人たちが、僕にとっては家族です。これまでたくさんの声援、愛をいただきました。これからは、私が恩返しする番。ここ北海道で、みんなと一緒に生きていきます」。チームメートだけでなく、球団職員にも愛された球団史上最高の二塁手は、たくさんの涙と愛情に包まれながら、プロ人生の幕を引いた。【中島宙恵】

▽日本ハム栗山監督「12年に来て、今でも忘れないのは賢介がケガをして一瞬、優勝がなくなったと思ったこと。そこからの戦い方など、いろんなことを学ばさせてもらった。あれだけ愛される選手を作らないといけないと、あらためて思った。これがプロ野球だなと感じた」

▽日本ハム中田「感動的でしたし、あらためてすごさを感じた」

▽日本ハム近藤(試合中から号泣)「今の打撃は、賢介さんがいたからこそ。ああいう姿勢全て、お手本になりました。もっともっと野球を教わりたかった」

▽日本ハム吉川「自分で終わりを決められるということはすごいこと。自分も賢介さんのようになれれば」

▽日本ハム渡辺「感動しましたし、少しの間ですけど一緒にできて良かったです」

▽日本ハム平沼「短い間でしたけど、話を聞かなくても学べるところがたくさんありました」

▽日本ハム宇佐見「いろいろと打撃面でも教わりましたし、もう1年(一緒に)できればよかったなと思う」

▽日本ハム清宮「短い間ですけど、賢介さんの存在感を感じましたし、いるだけで落ち着く。そういうのをすごく感じました。最後打ったのは勝負強いと思いましたし、めちゃくちゃ格好良かった」