ベテランとしてヤクルトを引っ張った青木宣親外野手(39)が、日刊スポーツに手記を寄せた。前回優勝時はメジャーに在籍。自身初めてのセ・リーグ優勝となった。シーズン96敗を喫した翌年の18年にヤクルト復帰。

米国での経験をどのように還元したのか? 率直な思いを記した。

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信じてはいたけど、2年連続最下位から、一気にこんなふうに優勝という結果になるとは…。本当にうれしいです。優勝したい気持ちがありつつも、その場所に行くにはまだたくさんの課題があると思っていましたから。

でも、そんな考えをものの見事に吹き飛ばしてくれた。チームは接戦を勝ち抜いたり、優勝争いの中で本当に1戦1戦成長した。貴重な経験をしてきたような気がします。みんなが本当に頑張った。

僕はアメリカの7球団に行ったけど、チームごとに組織作りや雰囲気が違った。いろんな監督いろんなコーチ、いろんな選手、スタッフと関わってきたので、すごく勉強になった。「そんな考え方もあるんだ」というのは、アメリカに行ってより感じることができた。自分自身も変わって帰って来られたような気がします。

MLBは選手の喜怒哀楽が激しかったので、NPBに帰ってきたときにそのギャップをすごく感じました。ヤクルトは特に96敗した翌年だから、余計に目について、もっと感情を表に出せばいいのになって思ってて、自分は意識して出すようにしてました。あえて悔しがることもありました。戦う姿勢を見せたかったんです。自分の結果、負けることへの悔しさみたいなのを、表に出した方がファンにも伝わると思ったし、なによりチームに欠けているものだと思ったんです。

ガンガン個性を出してやればいいんだよっていうのは、周りにも話してました。例えばユニホームの着こなし1つでも、ムーチョ(中村悠平)はシーズン途中から、ユニホームの裾を絞ったりしている。そういう変化が必要なんです。ムーチョからはピッチャーを引っ張っていくという強い意思も伝わってきて、頼もしかったです。

監督を含め、みなさんが適度な自由さが許される雰囲気にしてくれたことで、自分たちもやりやすかった。ガチャガチャやったり、ああだこうだやってる方が自分は楽しい。あまりにも好き勝手やるのは違うけど、その辺のさじ加減はみんな分かっている。

若い選手もいい雰囲気でプレーできていました。これをヤクルトの伝統にしてほしい。粘り強く最後まであきらめないで頑張るというのは、自分も先輩たちからそういうふうに教わってきました。その上で、いつも明るくやってほしい。野球ってやっぱり変化している。10年前にいた日本の野球と、今の野球とでは全然違う部分もある。うまくアップデートしていきながら、伝統も大切にしていけば、必ず常勝軍団をつくれると思ってます。(ヤクルト外野手)

◆青木宣親(あおき・のりちか)1982年(昭57)1月5日、宮崎県生まれ。日向-早大を経て03年ドラフト4巡目でヤクルト入団。05年にプロ野球2人目のシーズン200安打を達成し新人王。首位打者3度、最多安打2度、最高出塁率2度、盗塁王1度。ベストナイン、ゴールデングラブ賞各7度。12年ブルワーズ移籍。アストロズ時代の17年6月に日米通算2000安打達成。18年にヤクルト復帰。今年5月にイチロー、松井秀、松井稼に次ぐ4人目の日米通算2500安打達成。08年北京五輪、06、09、17年WBC日本代表。175センチ、80キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸3億3000万円。