マサ、50歳現役の誓い!

 昨年8月に42歳11カ月の史上最年長で200勝に到達した中日山本昌投手(43)の「200勝達成祝賀会」が18日、名古屋市内のホテルで行われた。元中日監督の阪神星野仙一SD(61=シニアディレクター)、競馬の武豊騎手(39)、同い年の古田敦也氏(43=野球解説者)ら関係者を含め、約1300人を超える出席者の前で「最後の矢がなくなるまで現役を続けたい」と宣言した。

 人、人、人…。山本昌の偉業を祝福するために集まった出席者が会場となった大広間を埋めた。その数は1300人を超えた。中日球団関係者のみならず、星野SD、競馬の武騎手、同い年の古田氏、西武渡辺久監督、そして地元の後援者たち。その熱気に感激した山本昌はマイクを握ると力強く宣言した。

 「調子のいいシーズンも、悪いシーズンもいろいろな方にお世話になりました。私は幸せです。来年44歳になりますが、ボールが投げられなくなるまで現役を続けることが、恩返しだと思います。最後の矢がなくなるまで頑張りたい」

 会場に大きな拍手がわき起こった。祝賀会の冒頭、球団最多211勝を誇るOB杉下氏から「私を抜いて中日の看板になってくれ。やっと後輩ができた。立派です。この体なら50歳まで楽にいける。250勝、300勝目指して頑張って欲しい」と激励を受けたが、それに応える形のネバーギブアップ宣言。本当に50歳まで現役を続けられると思わせるあいさつだった。

 昨年8月4日巨人戦で通算200勝を達成し、シーズン終了後は祝賀会ラッシュとなった。それでもトレーニングを怠ることはなかった。年明け8日には鳥取市内のスポーツジムで自主トレを開始した。祝賀会当日となったこの日も午前中にナゴヤ球場屋内練習場に姿を見せた。「家にいてもダラダラするだけだからね」。黙々とランニングなどで汗を流した。88年に米国留学に派遣された時はほぼ戦力外だった。そこから努力ではい上がって史上最年長200勝。原点を忘れることはない。

 この日も会場の両脇には米国時代の恩人・アイク生原氏、中日入団時の担当スカウト・高木時夫氏の故人2人の遺影が飾られていた。「最後の矢がなくなるまで…」。恩人たちの前での誓いを裏切るわけにはいかない。山本昌が大きなエネルギーを得て、プロ26年目に向かう。【鈴木忠平】

 [2009年1月19日12時33分

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