<楽天4-1日本ハム>◇10日◇Kスタ宮城

 日本全国を熱狂させた、あの夏から5年。06年夏の甲子園決勝で対戦した早実・和泉実監督(50)と駒大苫小牧・香田誉士史元監督(40=現鶴見大コーチ)が語った。

 ◆和泉氏が見た田中、香田氏が見た斎藤

 和泉氏

 初めて意識したのは2年夏に優勝投手になったとき。最後の球で150キロ。斎藤もそのころ一番伸びて、140キロが出だしたころ。いい球を放るようになってきたのに、全国には上には上がいると思った。(05年秋に)明治神宮大会の準決勝で対戦したときは打者19人で13三振。まったく歯が立たなかった。こんなにすごい投手を打たないと全国では優勝できないんだと、肌で感じた。

 香田氏

 斎藤君はすごかった。(06年夏の)決勝再試合では、さすがに疲れているだろうと思ったのに、1戦目より少し上ぐらいの状態。驚きと動揺で、2戦目のほうが後手後手になった。畳みかける攻撃で勝ち上がってきたのに打線をバサッと切られる。それが相手打者の心まで折るような打ち取り方。高校時代、将大には打者を打ち取るすべが足りなかった。最近はそういう部分も出てきて、順調に成長しているなと思う。

 ◆06年夏の甲子園決勝

 香田氏

 将大(田中)がウイルス性腸炎にかかり、ごまかしながら大会に入ったので、決勝まで行けるとは思わなかった。脱水状態がずっと続いて、兵庫県内の実家に帰したことも。先発させるかは準決勝の後、宿舎で話して決めた。将大は点滴を打ちながら。「2人の投げ合いをみんな期待している」という話をしたら、歯切れが悪い。「思っていることを言っていいんだぞ」と促すと「先発じゃなく、後のほうが…。でも、初回に行けと言われたら僕は行きます」と。体力、気力ともに限界だった。

 和泉氏

 決勝再試合は斎藤で行くしかなかった。ただ(前日は)ミーティングもしなかった。こちらから拘束することはしなかった。マッサージ受けたり、点滴打つ選手がいたり。斎藤はこれまでの継続ではり治療をしていました。再試合の日の朝食前。「優勝旗を持ち帰る。斎藤を今日(先発に)立てるから、みんなしっかり守って1点でも取れ」と、鼓舞するようなことだけを言いました。

 ◆2人へのエール

 和泉氏

 一ファンとして応援するだけ。彼の最終目標は彼が決めることですから。周りの評価があるけど、決めるのは斎藤。ただ、周りはあのときのことを重ね合わせるでしょう。そういうことを提供してくれるのもまたうれしい。田中君は球界を代表する投手。その投手と斎藤が投げ合うところまでいった、そこまでたどり着いたということでしょう。

 香田氏

 2人が投げ合うたびに、多くの人があの試合を重ね合わせて見る。今はうっとうしいと思うかもしれないが、幸せなことだと思って欲しい。【取材・構成

 清水智彦、中島宙恵】