<国際強化試合:日本4ー2台湾>◇8日◇台北・新荘

 初陣を白星で飾った。小久保裕紀監督(42)率いる侍ジャパンが台湾代表との強化試合の第1戦に臨み、逆転勝ちした。4年後のWBCを見据えて26歳以下の若手を中心に編成。4番には若き大砲・中田翔外野手(24)を据え、攻撃的なタクトで10安打で4点を奪った。

 新生・侍ジャパン初のハイタッチ。現役だった1年前とアングルも手のひらの感触も違った。「選手たちが台湾まで来て立派に仕事を果たしてくれた」。小久保監督は選手たちの歓声をしみじみと喜ぶ一方、采配の難しさを身をもって知った。「選手だと自分のことだけだが、9回まで脳みそが回りっぱなし。いろんなことを考えないといけないんだなと」。緊張で試合中、7度もトイレに向かった。

 小川-大野の先発2枚で計7回を2失点。攻撃では好調と判断して6番に起用した秋山が2打点、代打平田の適時打もはまった。「鹿取コーチのアドバイス。今後もやろうと思う」と投手交代では自らマウンドに向かった。「全部の選手を使い切りたかったが、初戦は勝つということを重要視した」。選手、コーチ、そして自らも若く、経験の少ないチーム。「初陣の結果は一生ついてくるから」。自信の伴う最高の船出となった。

 新米監督の目の前で躍動したのは「4年後に主力になる選手たち」だ。最終メンバーを選ぶ際、全球団の監督に電話を入れた。全員が年上。気がつけば自宅リビングに正座して頭を下げ、両脇に大量の汗をかいた。選手時代に経験したことのない緊張感にあふれた。

 王球団会長の薫陶を受ける小久保監督がまず決めたのは中田の“永久4番”だった。「僕が率いている間の中心選手」と17年WBCまで代える気はない。ダイエー時代の99年。球宴前まで打率1割8分5厘と不振にあえいだ。当時の王監督に「4番を外して下さい」と直訴したが、「自分の調子を上げなさい」と返された。そのまま4番固定され、最終的にチーム最多24本塁打を放ち、日本一。「あの時の王さんから我慢することの大切さを学んだ。自分も恥をかいたが、使う側も勇気がいったと思う」と振り返る。

 台湾遠征には昔読んだデール・カーネギー著「人を動かす」を持参した。初版は77年前、社会で生きる上の心構えを説いた“古書”。監督を実践してみて、「その人の性格を含めた特徴が分かるともっと違う。どこまで野球観があるかは今の活動では把握できない」と課題も見えた。侍ジャパンをどうまとめるか。考え、悩む作業は始まったばかりだ。

 最近購入したノートの1ページ目に「侍ジャパンストーリー」と記した。「2年くらいでいっぱいになるかな」。白紙がたっぷり残る1冊に老舗レザーブランドの手帳カバーをかけた。レザーの経年変化が好きな青年監督と、まだ色づきの浅い侍ジャパン。4年後の金色を目がけ、力強く、第1歩を踏みだした。【押谷謙爾】