ソフトバンクは11月30日、中村晃外野手(25)の背番号を「60」から「7」に変更することを発表した。シーズン後に志願し、球団から了承された。「7が好きだし、大村さんがつけていて、格好いいなと思っていた」。入団1年目の08年に好打者の大村直之が背負ったナンバー。2年連続で打率3割を記録。今年は最多安打のタイトルも獲得し、日本シリーズではサヨナラ弾も放った。結果を残し、憧れの数字を手にした。

 11月14日には左肘を手術し、福岡市の西戸崎合宿所でリハビリ中。「1桁はつけられるもんじゃない。プレッシャーもかかる。全力でやりたい。首位打者と最高出塁率を取りたい」と大きな目標を掲げた。そのためには長打力アップを自らに課した。「ヒットだけなら打たれてもいいと真ん中付近でストライクを取られる。甘く入ってきたところを長打にできたら…」。ダイエー時代には井口もつけていた背番号「7」。背番号は軽くなったが、来季への責任は重くなった。

 ◆大村直之(おおむら・なおゆき)1976年(昭51)2月13日、兵庫県生まれ。育英3年の93年夏の甲子園で全国制覇。同年ドラフト3位で近鉄入り。おもに1番中堅で01年の優勝に貢献。04年オフにFAでダイエーに移籍し06年に最多安打。09年トレードでオリックスに移籍し10年引退。通算1789試合、1865安打、78本塁打。173センチ、72キロ。左投げ左打ち。

 ◆背番号変更で飛躍したホークス選手

 南海時代の門田博光は、プロ入り時の「27」から「44」、さらに83年には「年間60本塁打を目指す」と「60」に変更。同年40本ながら2度目の本塁打王となり、88年には40歳で本塁打、打点の2冠でMVP。佐々木誠は南海時代の「0」から、福岡移転を機に「3」へ。92年に首位打者となった。松中信彦は00年「26」から「3」へ変え、同年33本塁打でMVPを獲得。04年には平成初の3冠王ともなった。