ひとたび勝負の土俵に上がれば、私情が入る余地などない。そんなことは承知の上で、互いに鍛錬してきた僚友への、熱い思いがある。送るエールが届くか否かは、受け止める相手次第だ。

 名古屋場所初日を10日後に控えた先月30日。名古屋市瑞穂区内に宿舎を構える伊勢ケ浜部屋で、横綱日馬富士(32)を取材する機会があった。名古屋場所の注目は、大関稀勢の里(30=田子ノ浦)の横綱昇進なるか。そのことに話を向けられた横綱は「お互い、10代からずっと稽古しているからね。ライバルではあるけど心の中で、どうしてもね」と柔和な表情を浮かべた。応援せずにはいられない、という心中なのだろう。

 2歳年上で、初土俵も新十両も先行したが、04年九州場所の新入幕は同じ。以後、新三役こそ1場所だけの先行だったが、大関昇進は3年も先んじ、その大関は5場所で「同居」したが、さらに横綱昇進で水をあけた。稀勢の里の強さ、相撲に取り組む真面目な姿勢を認めた上で、どこか、歯がゆさを感じてもおかしくない。「あとは気持ちの問題。30になって相撲が変わるわけでも、力がアップするわけでもない。ここ2場所は落ち着いてる」。ライバルを冷静に客観視している。

 現状の自分自身を分析する言葉は、横綱の心得を説いているかのようにさえ感じた。ヒジ、膝など小さな体に故障を抱えながら続く、辛抱の土俵。「半月板も切れてヒビが入った。骨に当たると神経にさわって痛む。(ヒジは昨年、手術で)メスも入れた。不安と恐怖と痛み。これは手術した者でないと分からない」と吐露した上で、言葉を続けた。「今日を乗り切っても、明日はまた厳しいかもしれない。耐えて、しのんで、我慢して」。最高位に座す者としての孤独な胸中なのだろう。

 連続優勝とか、それに準ずる成績とか、内規とか。そんな目に見える事象を越えた精神性のようなものが、さて、かのライバルに備わっているのか。そんなことも問われる稀勢の里の一挙一動から、目が離せない。【渡辺佳彦】