IBF世界ミニマム級王者高山勝成(31=仲里)が、初防衛に成功した。同級9位ファーラン・サックリン・ジュニア(21=タイ)と対戦。本来は1階級上で10歳若い挑戦者を手数で攻撃。9回に高山の両まぶたからの出血がひどくなり、負傷判定3-0で勝利。昨年大みそかに獲得した王座を守り、次は統一戦や2階級制覇などのビッグマッチを熱望した。高山の戦績は29勝(11KO)7敗1無効試合、ファーランは27勝(15KO)4敗1分け。

 流れる血もぬぐわず、ラッシュした。高山は8回、挑戦者をコーナーにくぎ付けにした。カウンターを狙う相手の懐に飛び込む。「打たれる前に、思い切りパンチを打ち込んだれ!」。2分近くにわたってパンチを打ち続けた。「根比べ。どっちが先に心が折れるか」。驚異的なスタミナと手数で圧倒。偶然のバッティングによる出血で9回負傷判定は3-0。リング上で「海斗、勝ったぞー。やったー」と叫んだ。

 日本初の4団体制覇を達成した2日後の1月2日。大阪市内の病院を訪れた。慢性骨髄性白血病を患ったボクサー服部海斗さん(享年17)に4本のベルトを見せた。2月20日には意識がなくなった後輩に「高山やで、来たぞ。もう少し頑張れ。絶対にあきらめるな」と大声で呼びかけた。17歳の少年はかすかに反応して、4日後に亡くなった。

 かつての所属グリーンツダジムで小学生から服部さんを知っていた。東洋太平洋フライ級王者の故小松則幸さん(享年29)らと一緒に練習した。高山は15歳で「僕の学校はジム」とプロ一本。服部さんもそうだった。いちずに世界王者を目指す姿は、かつての自分だった。2年前には拳を合わせて「月日がたち、まさか自分がスパーをするとは」。闘病中の寄せ書きには「己に勝つ」と書いた。

 2月25日午後8時半、通夜で服部さんと再会した。「向こうにいったら、先輩である小松さんとも会える。2人で、僕らを見届けてほしい」。試合の1週間前、父の謙司さんにチケット2枚を送って、頼んだ。「海斗をつれて来てください」。謙司さんが掲げた遺影、喪章をつけたトランクス。負けは許されなかった。

 日本初の4団体制覇王者は、ビッグマッチを熱望する。WBA王者ブドラー、5月30日にWBO王座決定戦に出る田中らとの統一戦を熱望。その田中から控室で祝福されて「次、試合に見にいくね」と答えた。「まずは目の上の傷の手当てをして。新学期なので来週から学校に行きたい」。現役の高校2年生はにっこりと笑っていた。【益田一弘】

 ◆高山勝成(たかやま・かつなり)1983年(昭58)5月12日、大阪市生まれ。中2でボクシングを始める。01年ライトフライ級で全日本新人王獲得。05年WBC世界ミニマム級王座、06年11月WBA同級暫定王座、13年IBF同級王座獲得。14年12月にWBO同級王座も獲得し日本人初の4団体制覇成功。158センチの右ボクサーファイター。