プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月3日付紙面を振り返ります。2011年の1面(東京版)は西岡利晃の“ボクシングの聖地”日本人王者初防衛でした。

 ◇ ◇ ◇

<プロボクシング:WBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ>◇12回戦◇米ラスベガス・MGMグランド・ホテル&カジノ

 【米ラスベガス1日(日本時間2日)】強い! 歴史的快挙だ! WBC世界スーパーバンタム級王者の西岡利晃(35=帝拳)が、“ボクシングの聖地”で日本人王者初の防衛に成功した。40勝中36KOを誇る元2階級制覇王者の同級2位ラファエル・マルケス(36=メキシコ)の強打を完封。後半から自慢の左強打の連打で圧倒して、3-0の判定勝ちで7度目の防衛を飾った。試合後、所属する帝拳ジム本田明彦会長(64)は「次が最後」と来春のV8戦で引退させる意向を表明。再び世界的強豪との夢のスーパーファイトで、有終の美を飾ることになりそうだ。

 「モンスターレフト」と呼ばれる左拳は最後まで驚異的だった。8回、西岡は左ストレート3連発で勢いづいた矢先、バッティングで右頭上部をカット。流血し、マルケスの容赦ない右ストレートを浴びたが、守勢に回らず左ストレート、左ボディーで反撃した。攻め手を失い気落ちした挑戦者とは逆に、最後12回も「どんどんいけと言われたので、とにかくいった」(西岡)。文句なし3-0の判定勝ちで完勝。「1秒たりとも油断できない強い選手。そんな素晴らしい相手と戦えてうれしかった」。西岡は惜しみなく、すべてを出し切った安堵(あんど)感を漂わせた。

 40勝のうち36KOと抜群の破壊力を持つマルケスは強かった。序盤は伸びるような左ジャブに手を焼いた。ガードの上からでも強い衝撃を受けた。序盤、ポイントも奪われた。「最初は相手の右で左が殺されて当たりにくかったので、前半は距離感をつかむまで焦らずじっくりいった」(西岡)。わざとマルケスに攻めさせた。敵ガードの上から左強打を放って体力を削り、徐々に間合いをつかんだ。経験のすべて詰め込んだ集大成の左強打で敵をのみ込んだ。

 日本人の世界王者として米国本土での防衛成功は初の快挙だった。舞台は聖地ラスベガス、数多くの名勝負が繰り広げられたMGMグランドのメーン。西岡は「プレッシャーはありました」と吐露した。試合1週間前、乱暴な言葉遣いでスタッフにストレスをぶつけた。重圧がかかりイライラした時、本田会長に振る舞いを厳しく叱責(しっせき)された。西岡は「1日、1人にさせてください」と部屋に閉じこもり、自らを見つめ直した。「あそこは選ばれたものしか立てない場所」(西岡)と食事、練習以外は常に1人で部屋で過ごして精神統一した。帝拳プロの浜田剛史代表(50)も「腹をくくって勝負するところを勝負することができた」と頼もしそうに見つめた。

 35歳2カ月での防衛成功は、内藤大助の34歳8カ月を抜く日本人最年長防衛記録。しかし、本田会長は「次が最後」とV8戦をラストマッチにする意向を明言した。西岡が兵庫・尼崎市に55坪の土地を購入。来年2月に新居も完成予定で、同会長は「西岡は『あと2戦』というが家族と離れて暮らすのも良くない。ダメージが蓄積する前に辞めた方がいい。やることはやったのだから」と引退を勧める方針だ。

 次戦は来年4~5月を予定しており、対戦相手は2団体統一バンタム級王者ノニト・ドネア(28=フィリピン)が最有力候補。「ラストファイトにふさわしい試合を。ラスベガス、米国のどこか、日本もある」と本田会長。米国で存在感を示した西岡がビッグマッチでボクシング人生を締めくくる時が来た。

 ◆MGMグランドでの主なスーパーファイト 94年11月にIBF・WBA統一ヘビー級王者モーラーを元王者フォアマンが10回KOで倒し、45歳9カ月の当時の最高齢王座奪取に成功。96年11月には宿命のライバル対決とされたタイソン対ホリフィールドのWBA世界ヘビー級戦を開催、当時のボクシング史上最高額1415万700ドル(当時約15億5600万円)の入場料収入を記録した。97年6月のホリフィールド対タイソンの再戦では、タイソンが相手の耳をかみちぎる“事件”も起きた。近年では07年5月、メイウェザー対デラホーヤのWBC世界スーパーウエルター級戦、08年12月にパッキャオ対デラホーヤが開催された。

※記録と表記は当時のもの