新日本の元IWGP永田裕志(43)が、4日の名古屋大会で棚橋弘至(35)のIWGPヘビー級王座に挑戦する。自身の持つ連続防衛記録10に、棚橋から挑まれる戦いでもある。永田にとっては4月の後楽園大会に次ぐ、今年2度目の挑戦。「今度ばかりは負けるわけにはいかない。ベルトを取って、来年1月4日の東京ドーム大会で王者としてメーンで戦う」と言い切る。

 今までに東京ドーム興行のメーンを7回務め、ミスターIWGPと呼ばれた。「ノアの小橋(建太)選手と戦った後に『新日本のミスターIWGPだ』って言われたんだ。自分から言い出したわけじゃない」。自ら“100年に1人の逸材”と言い切る棚橋に対しての意地を見せる。

 今年1月4日の東京ドーム大会で王座奪取。防衛し続けて、V10に挑む棚橋のことを「若いときから有望株だった」と言う。だが、「彼が王者としてメーンを張っているときでも、自分はセミ以下で、それ以上の試合をしてプレッシャーを与え続けてきた」と上から目線。

 11月12日の大阪大会。11試合目のメーンで矢野通を相手に、故橋本真也さんと並ぶ9度目の防衛を果たした棚橋。永田は第3試合に登場して、石井智宏を相手に、強烈な頭突き合戦を繰り広げて流血させ場内を沸かせた。「棚橋に対する善戦布告だよ。俺はプロレス界がどん底に落ちて、興行がメチャクチャになった中でメーンで締めてきた自身がある。今は楽だよね。大変なのは、俺からのプレッシャー」と笑う。

 両親ともに教員の家庭に育った。中学3年間は、英語教師の母親が同学年の別のクラスの担任を務めていた。「学校では先生、家ではお母さん。照れくさかったけど、忘れ物して家を出たときに届けてくれたりね」と振り返る。高校時代にレスリングを始め、日体大で五輪を目指した。「プロレスを見るのが好きだったけど、やるとは考えていなかった。でも、自分が一生懸命やっていることを世間に投影できることを考えたら、それがまさにプロレスだった」と言う。

 来年20周年を迎える。「やめようと思ったことは、1度もない。やだな、きついな、疲れるなって思っても、やめようとは思わなかった」。そんな永田に大きな危機が訪れたのが、08年2月。両国国技館大会の試合前にリング上でストレッチ中に目まいに襲われた。右脳の血管腫からの出血で、3カ月の欠場を余儀なくされた。「子どものころから体を動かしてたから、とてもつらかった。もうプロレスはできないかもと思って、なんとしても復帰しようと思った」と振り返る。

 病から立ち上がり、今年は“アンチエイジング”をテーマに掲げて戦った。「43歳だからとか、言われたくなかった。つらいことをどう乗り越えるか、諦めようと思ったときに1歩進んでいく強さが必要。これはプロレスラーに限らず、一般の皆さんもだと思う」。

 IWGP王座の頂を極め、降りて、また諦めずに頂を目指す。それが永田裕志という男だ。◆永田裕志(ながた・ゆうじ)

 1968年(昭和43)4月24日、千葉・東金市生まれ。日体大卒、92年3月新日本入団。同年9月14日、山本広吉戦でデビュー。96年ヤングライオン杯優勝。99年、中西学とIWGPタッグ王座。01年G1優勝。02年IWGPヘビー級王座初戴冠。03年、棚橋弘至とGHCタッグ王座。07年ニュージャパン杯優勝。11年ニュージャパン杯、全日本チャンピオンカーニバル優勝。得意技は岩石落とし固めなど。183センチ、110キロ。血液型AB。