<プロボクシング:WBC世界スーパーバンタム級暫定王座決定戦12回戦>◇15日◇パシフィコ横浜

 悲運の天才が、ついに世界の頂点に立った。WBC世界スーパーバンタム級2位の西岡利晃(32=帝拳)が5度目の世界戦で王座奪取に成功した。同級3位ナパーポン(タイ)を序盤からスピードと正確なパンチで圧倒。連打を浴びた9回のピンチを気力で乗り切ると、最後まで打ち合い、3-0の大差判定勝利を収めた。世界初挑戦から8年。左脚アキレスけん断裂、4度の世界挑戦失敗と、挫折を繰り返してきた早熟の天才が、「5度目の正直」で悲願を成就した。

 8カ月ぶりに対面した娘の顔は、涙でにじんで見えた。試合後、西岡はリング上で長女小姫(こひめ)ちゃん(2)を抱き上げた。世界戦だけに集中するため、家族とは今年1月から別居してきた。娘からたどたどしい言葉で「世界チャンピオン、おめでとう」と2度祝福された。初の世界挑戦から8年。早熟の天才と呼ばれた男が、32歳で迎えた人生最高の瞬間だった。

 開始から積極的に打ち合った。左アッパー、ボディー。手数でも圧倒した。「今まではあと1歩が足りなかった。今日は捨て身で、この試合が最後との気持ちだった」。もう過去4度の失敗を繰り返すわけにはいかなかった。4回までの公開採点で2人のジャッジが4ポイント差をつける最高の好スタートを切った。

 ナパーポンもタフだった。連打を放っても、前へ出てきた。8回終了後に公開された採点では、ジャッジ2人が2ポイント差に縮まっていた。9回には逆に連打を食らって足が止まった。「絶対乗り切るとの強い決意で耐えた」。11回には右目上カットしたが前に出た。相手の反則減点もあり、大差判定で王座奪取につなげた。

 早熟の天才と呼ばれた男が、8年かけて悲運を幸運に変えた。22歳で日本王座獲得し、23歳の00年6月に世界初挑戦。当時、最強王者といわれたウィラポン(タイ)に屈したが、01年9月の再挑戦では引き分けまで持ち込んだ。頂点は目の前だった。だが、その直後に暗転した。同12月、練習中に左アキレスけんを断裂。その影響で持ち味のスピードが消え、左強打のタイミングも見失った。3度目も、4度目もウィラポンに挑戦し、失敗した。

 04年3月の4度目を逃した後は、逆風が吹いた。所属の帝拳ジムの本田会長からは何度も引退を勧告された。試合こそ組まれたが「引退を納得させるための試合」(本田会長)だった。04年末に美帆夫人(27)と結婚。その後、長女小姫ちゃんにも恵まれたが、いつリストラされてもおかしくない状況に追い込まれた。

 ひたすら待ち続けた。地道に練習を続けた。そして1階級上げて勝ち続けた。「今年に懸けようと思った。精神的にも今年挑戦できなかったら、もうもたないと思ってた」。1月にボクシングに全神経を集中するため妻子と別居。その5カ月後、約4年半ぶりの世界戦が決まった。自ら勝ち取った5度目のラストチャンスだった。

 4年間で古傷の左アキレスけんの違和感も消えた。初めて心技体が整った世界戦で結果を残した。「ここからまた新たなチャレンジ。心身ともに強い西岡をつくりたい」。どん底からはい上がった男は、ここからさらに最強王座の道を目指していく。【田口潤】