<魔裟斗激白(下)>

 K-1の魔裟斗(30=シルバーウルフ)が自身のK-1人生を振り返った。大みそか「Dynamite!!」(さいたまスーパーアリーナ)での引退試合、アンディ・サワー(27=オランダ)戦に向けた、単独インタビュー最終回。格闘技を始めたきっかけ、「魔裟斗」と命名された時のこと、引退後について、K-1のカリスマが熱く語った。

 3歳から水泳を始め、個人メドレーで沖縄県小学生大会優勝の実績がある魔裟斗は、15歳でヨネクラボクシングジムの門をたたいた。他のスポーツではなく、なぜ、格闘技の道を選んだのか。

 魔裟斗

 幼稚園のころから、強いのが格好いい、もてると思ってたんですよ。そのまま格闘家になっちゃって。今は全く思ってないですよ。強いのがもてるって(笑い)。(ジムは)おやじが見つけてきたんです。ヨネクラが一番いいって。

 17歳でキックボクシングの藤ジムに入門し、「魔裟斗」と命名された。264年間続いた江戸幕府を開府した戦国武将と画数が同じという理由もあった。

 魔裟斗

 嫌だなと思いましたね。暴走族みたいで。なんだこれって。最初の藤山海山(ふじ・さんかいざん)は断って、2回目で言われて断りにくくって。「ものすごいいい名前だから」って言われて、あーいいですねって(笑い)。画数が徳川家康(38画)と一緒です。今はインパクトがあってよかったなって思う。

 K-1中量級のトップファイターとして10年間活躍してきたが、引退の文字はたびたび脳裏をよぎった。

 魔裟斗

 辞めたいと思ったことはいっぱいあった。終わりがないじゃないですか。自分で決めないと。チャンピオンになっても終わらないし。それを02年からずっと続けてきたので、やっぱり自分で区切りをつけないと。年齢的にはあと2年はいけた。ただ、あと2、3年というときに集中して自分を追い込めるかというと、追い込む自信はないですね。だらだらやって弱くなっていくのはみっともないし、1番いいときにやめたいと。(惜しむ声は)今でもありますよ。もったいないって。だからやめるんです。

 引退後については全くの白紙だった。

 魔裟斗

 何も決まってない。今は試合のことしか考えてない。(引退後のK-1に)不安はない。なぜならおれは一選手だから。K-1のプロモーターでもなんでもない。そんなこと考えてたら現役やってない。

 MAXが創設された02年から7年連続出場。優勝2度、準優勝2度、4強3度の輝かしい成績を収めた。

 魔裟斗

 (K-1は)すごく青春させてくれましたね。来年からは強さは全くいらない。普通の社会人だったらそんなの出す場面ないじゃないですか。生まれ変わったら、メジャーリーガーです。十何億とか稼ぐので。40歳くらいまでやりますよ。ぼろぼろになるまで。

 03年にMAX初優勝を飾った思い出の地、さいたまスーパーアリーナで、K-1のカリスマが「青春の最終章」を迎える。【聞き手・構成=塩谷正人、浜本卓也】