小さな大横綱・千代の富士(35=九重)が、夏場所3日目の貴闘力戦に敗れ引退した。初日のプリンス貴花田戦に続き2敗目となり、21年におよぶ土俵生活に別れを告げた。小兵ながら、大相撲史上初の通算勝利1000勝、53連勝、幕内優勝31回など数々の記録を残した国民栄誉賞横綱は、激動の相撲人生を生き、燃え尽きた。引退後は年寄陣幕を襲名する。千代の富士が引退表明した5月14日は20年前、大鵬が引退した日でもあった。

 千代の富士が、背中を丸めて白いハンカチで鼻を押さえた。「体力の限界……」まで言ったあと、次の言葉まで数秒。万感の思いが突き上げてきた。「気力もなくなり引退することになりました」とノドの奥から絞り出すように言った。183センチ、126キロの体に両肩の脱きゅうと、逆境の横綱を支えてきたのは、まさに気力の2文字だった。

この朝、東京・墨田区石原の自宅を出る時に、久美子夫人(30)には「負けたらやめる」と決意を話してきた。これまで食ったこともない「取ったり」で貴闘力に敗れて2敗目。控えに座った横綱の目は、本場所の土俵を去る寂しさからかうつろだった。

 引退を決意させたのは、初日の貴花田との対戦だった。あと1回に迫った、大鵬の優勝32回には未練がなかった。春場所の休場を経て、今場所の土俵に上がったのは、貴花田との対戦が予想されたからだ。その成長を胸に受け止め、肌で感じた。1971年(昭46)に大鵬は貴ノ花に敗れ、力士生活にピリオドを打った。千代の富士は貴花田戦で腹を決め、同じ5月14日に幕を閉じた。17歳も年の離れた貴花田の台頭は、どれだけ千代の富士を安心させたことだろう。師匠の九重親方(元横綱北の富士)も、「体力的にはボロボロ。それでも頑張ったのは次の世代が育つまで、という気持ちがあったからだろう。いい引き際で、見事だと思う」と、目を潤ませながら話した。

 激動の相撲人生には涙がついてまわった。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進。翌秋場所にいきなり休場した。引退の2文字をこの時から背負った。九州場所で横綱初の優勝を果たした時、千代の富士は男泣きした。肩の脱きゅう、89年6月には三女愛ちゃんの死。直後の名古屋場所は悲しみを乗り越え、優勝という離れ業をやってのけた。国民栄誉賞も受賞した。壮絶な人生が相撲そのものだった。

 今後は、3代目九重部屋継承のレールが敷かれている。取りあえず、現在所有の年寄名跡「陣幕」を名乗り、来年3月に50歳となる九重親方の跡を継ぐ予定だ。激動の現役生活から、文字通り協会の大黒柱へ、協会首脳の期待も大きい。引退表明を終えて墨田区亀沢の九重部屋から出てきた千代の富士に、約300人の群衆が「よくやった」「お疲れさん」と声をかけ、大きな拍手で送った。千代の富士の第二の人生は、大きな期待を背負って今、始まった。