大相撲秋場所5日目に現役引退を発表した元関脇嘉風の中村親方(37=尾車)が16日、東京・墨田区のホテルで引退会見を行った。以下、会見後半。

-弟子の引退について

尾車 もちろん、引退をするのはとてもさみしいし、残念ではありますけど、でも長く楽しませてもらいました。

-師匠として印象に残っていることは

いつも全力でとるからですね、上位と当たった時に一泡吹かせてくれるんじゃないかではなくて、今日もいい相撲をとってくれるのではないかと思って相撲を見ていた。もちろん勝ったり負けたりするんですけど、負けている時でも、すごく頼もしく感じまして、館内のすごい拍手を聞いていると、勝ち負け関係なくこの子はうちの、僕の弟子だとすごく誇りに思っていました。口には出しませんでしたが、私も一緒になって館内のどこかでみさせてもらいました。

-手がかかる弟子か、手がかからない弟子か

弟子はみんな手がかかりますが、すごく純粋な子で、子って37の人つかまえておかしいですが、前相撲からとったのですが、一番最初の前相撲から館内で見た。実力があるから前相撲では勝つんですけど、勝って帰ってきた時、ものすごいホッとした顔をしていた。15歳で入ってきた子供のような感じで花道を戻ってくるので、すごい純な子だなと感じたことがあります。

-今度は指導者として期待することは

自分がやってきた記録より記憶という、本人の相撲に対する考え方。私もその言葉は大好きで、弟子たちにもちろん勝つことはもちろん大事だけど、そうじゃなくて、全力の相撲で勝ったり負けたりすることがもっと大事だと言っている。それを本人が続けてきたからこそ、多くの相撲ファンの皆さんに高い評価をいただいたと思うんですね。土俵入りの拍手が一番のバロメーターですから、土俵に上がった時に、今日もいい相撲を見られるのかなと、そういうわくわくするような、相撲を見に来た方に与えるような、そういう考え方を後輩に教えてもらえればなと思う。安易に立ち合い変化で勝とうとするのではなく、めいっぱいとって、勝ったり負けたりすることが相撲は大事なんだと、体現したことを後輩に教えてくれたらいいなと思います。

-どういう指導者を目指したいか

元嘉風 実は、ゆくゆくは自分も部屋を持って、自分が育った尾車部屋のような弟子がめいっぱい力を出せるような部屋をもちたいと思っていましたが、今はリハビリ中ですし、なかなかそういう気持ちに今はなれない。ただ早く指導する立場に戻れるように、今はリハビリを続けたいと思います。

-友風が金星で大号泣しましたが、どう思いました

もちろん、見ていました。泣きすぎだと思いました。いなくなった人を思って泣いているのかというくらい泣いていたので、泣きすぎだなと思ったんですけど。自分が幕下の時に、九州場所前かな。師匠に「土俵に立ったら力を出せない」という相談をしたことがあって、師匠からその時、アドバイスというか指導をいただいた。友風もどちらかというとネガティブな方で土俵の上で力を出せなかったので、自分も幕下の時に師匠に相談したなというのを思い出しながら、すごく美談にしていただいて毎日恋人のように…と書いていただいたんですが、私としてはリハビリ中で非常にたいくつで友風に電話したり、でもネガティブな気持ちにすぐなるので、自分も師匠に教わったことを土俵の上で力を出せるように、友風にアドバイスした。ただ大変うれしくは思うんですけど、現役が自分の弟弟子にアドバイスをして、今、例えば高校の監督に指導していただいたというお相撲さんがいるんですけど、それはちょっと違って、やっぱり自分の師匠がいるので、師匠を飛び越えてそういう人の名前を出すというのはあまりよくはないのかなと思うので、友風にも尾車部屋の環境がそうさせてくれるんだと友風には言っています。

-いい親方になりそう

尾車 嘉風のような、土俵に上がると、館内のお客さんやテレビの相撲ファンの皆さんが、今日も何かをやってくれるんじゃないかとか、大相撲になるんじゃないかという感じの力士を育ててくれればいいな。それが晩年に見るのが、私の最後の楽しみです。

-家族への思いは

元嘉風 感謝の気持ちしかないんですけど、自分がケガをして相撲をとれなくなって残念だったのは、息子が4月か5月から新しく幼稚園に行きだして、少人数しかいない中で、先生が気を使って場所中は、5月場所しかなかったんですが、夕方になると相撲をつけてくれて、勝って帰りに迎えにいくと大喜びして、きっと自慢の父親なんだろうなと思った中で、自分の中で昨年の名古屋場所くらいから土俵に上がっても力を出せなくて、もやもやしている中で、原因を見つけてもう1回上を目指していこうという中でのケガだったので、相撲が取れなくなって、息子にもう1回、強い自分を見せられないのはすごい残念です。

-会見場に家族を呼んだ思いは

力士として引退したので厳密にいうと終わってるのですが、はおりはかまでちょんまげをつけて人前に出るのは今日が実質最後になるので、そういう姿を見てもらいたいのと、師匠にこの日と、こういう場をつくっていただいて、それで最後の姿を見せたらどうだといっていただいたので、お言葉に甘えさせていただきました。

-大分で唯一関取がいなくなった。大分のファンへ

特別な言葉はなくて、地元を愛していましたので、地元からの声援はもちろんありがたかったし、30を過ぎて「大関を目指す」と大分でも公言してきましたけど、その夢がかなわず残念ですが、約16年間支えていただいて、ありがとうございましたという思いです。

-こういうケガで土俵生活を終える。そこに悔いはないですか

悔いしかないですね。はい。ただ、ケガをして引退を決断するまでの、数カ月の間に気持ちが整ったというか、いろいろな方に励まされたんですけど、やっぱり、悔いは残りますね。ただ、どういう形でも相撲をやめる時は悔いが残るんだろうなと。力及ばずして番付が下がってやめるにしても、どういう形にしても土俵を下りるのは悔いが残る。自分の場合はこういう形で終わりましたけど、相撲というのは人生そのものだったので、大変残念に思います。

-16年間、嘉風関が貫いてきた信念、大事にしてきたものは何ですか

非常に難しい質問です。16年ということでまとめるのは難しいですけど、やっぱり30歳をすぎてから上位で相撲をとらせてもらった時は、どういうことがあっても、しっかり当たっていくということは念頭に置いてやってきましたし。信念。相撲が好きだという気持ちは強く持ち続けて、それは貫いてきました。

-学生出身の力士が多い。そういう学生出身の後輩たちに伝えたいこと

さっきも言いましたけど、高校相撲、大学相撲を経験すると恩師が増えて相撲界に入るので、そういう指導者の指導をあおぐのはいいんですけど、あんまり簡単に口に出さない方がいいかなと。口うるさく言う兄弟子がいなくなったので、細かいことに目がいくのは、土俵上の所作で、番付上の人、特に横綱大関より後に塩をまいたり、後に仕切ったりというは(良くないと)誰からも教えられることなく、暗黙のルールというか。今、ルーティンという言葉がどのスポーツでもでてきましたけど、そのルーティーンは大事かもしれないですけど、相撲は勝負の前に所作も重んじられてここまで伝統文化として引き継がれてきたので。自分は横綱大関と相撲を取る時は、相手より所作を先にやるのはずっと頭に置いていた。学生相撲と言われるのがすごくいやだったので、そこはたたきあげの15歳で入った力士よりも気を付けるようにしていた。学生相撲出身力士にもそういうところをおろそかにしないでやってもらいたいと思います。