戦後の上方落語を復興させた「四天王」最後の一人で、9日に85歳で亡くなった3代目桂春団治(本名・河合一=かわい・はじめ)さんのお別れ会が26日、大阪市北区の天満天神繁昌亭で行われ、関係者や一般のファン約1000人が参列した。

 同会は、上方落語協会会長の6代桂文枝(72)が実行委員長として開かれ、文枝は冒頭であいさつ。「(繁昌亭開館の)10年前に師匠を赤い人力車にお乗せしたのが昨日のことのよう。これからは白い人力車に乗って、いつでも繁昌亭に遊びに来てください」と呼びかけた。

 また、四天王の4人ともを失い、文枝は「これからは、戦後上方落語第2章が始まると思います」とも語った。

 繁昌亭は96年9月、上方落語悲願の定席としてオープン。当時、すでに6代目笑福亭松鶴さん、5代目桂文枝さんは亡く、昨年3月に死去した桂米朝さんは高座を引退していた。春団治さんは、四天王でただ1人、繁昌亭で落語を演じたことがあった。

 繁昌亭の開場時には、春団治さんが初代春団治からゆかりの赤い人力車に乗り、6代文枝が押して、近隣の商店街をパレード。6代文枝は、春団治さんと劇場の深い縁から、同劇場でのお別れ会を企画した。

 また、春団治一門の3代目桂春蝶(41)によると、祭壇には「一門お気に入りの」写真が飾られた。大きな写真は正面に2枚あり、1枚は国立文楽劇場で舞踊を披露する60代の写真で、もう1枚は70代の高座場面だという。