「山のあな、あな」で有名な「授業中」などの新作落語で人気を集めた元落語協会会長の落語家三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか)さん(本名中沢円法=なかざわ・えんぽう)が23日午後1時25分、結腸がんによる腸閉塞(へいそく)のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。24日は一門で密葬を行い、26日の通夜、27日の葬儀は落語協会葬として行われる。喪主は妻令子(れいこ)さん。

 円歌さんは23日午前11時ごろに自宅で倒れ、妻令子さん(73)が119番した。病院に搬送されたが意識はなく、午後1時25分に死亡が確認された。22日はすしを食べるなど元気だったが、就寝前に「吐き気がする」と訴えていたという。

 80歳をすぎても精力的に高座に上がった。十数年前に大腸がんの手術を受け、心臓にも病気を抱えた。最近は結腸がんを患い、足腰も衰えたが、弟子たちに支えられて高座につくなど現役を貫いた。1月4日の鈴本演芸場が最後の高座に。この日、遺体は病院から、かつて得度式を行った東京・墨田区の本法寺に移され、弟子たちで密葬を行った。

 国鉄に勤務し山手線新大久保駅の駅員だったが、1945年9月、2代目円歌に入門。歌奴を名乗り、58年に戦後入門組として初めて真打ちに昇進した。初代林家三平、5代目三遊亭円楽らとともにテレビの演芸番組で人気者となり、昭和の落語界をけん引した。70年、3代目円歌を襲名。96年から06年まで落語協会会長を務めた。

 歌奴時代に自らの吃音(きつおん)体験を盛り込んで創作し、爆笑を呼んだ「授業中」、亡くなった前妻と再婚した妻の両親など大勢の高齢者と同居する家族模様を題材にした「中沢家の人々」など自作の新作落語を得意とし、古典にも熱心に取り組んだ。女性初の真打ちとなった三遊亭歌る多を弟子に持つなど、後進育成に尽力した。

 29年生まれだが、数年前に戸籍上は32年生まれだったことが分かり、経歴の生年を変更した。しかし、本人は戸籍にこだわらず、1月10日の誕生日に一門の弟子が集まり「米寿を祝う会」を行い、5月27日に東京・三越劇場で「米寿記念落語会」を予定した。85年に日蓮宗本法寺で得度し、本名も法名から「円法」と改名した。直後に身延山で水ごり修行をしている時に心筋梗塞で倒れ、東京女子医大病院に搬送されたこともあった。東京都千代田区六番町の作家有島武郎の旧宅に住んでいたが、2年前に湯島のマンションに移り住んだ。

 ◆三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか)1932年(昭7)1月10日、東京生まれ。岩倉鉄道学校(現岩倉高校)卒。45年、2代目三遊亭円歌に入門し、前座名歌治。48年、二つ目昇進で2代目歌奴と改名。58年に真打ち昇進。70年に3代目円歌を襲名。96年から06年まで落語協会会長を務め、その後、同協会最高顧問。02年勲四等旭日小綬章。