「敦煌」「人間の証明」「男たちの大和/YAMATO」などを手がけた映画監督の佐藤純弥(さとう・じゅんや)さんが9日午後11時、都内の自宅で亡くなっていたことが17日、分かった。多臓器不全による衰弱死だった。享年86。通夜・告別式は都内斎場で、喪主を務めた長男の東弥(とうや)氏ら親族のみですでに営んだことを東映が発表した。

佐藤さんは家族に見守られながら旅立った。3年前に、消化器系の疾患により医師から入院を勧められていたが、本人が拒否し、自宅で療養生活を送っていた。先月19日には、東映東京撮影所OBによる恒例のマージャン大会にも参加し、元気な姿を見せていた。

新幹線を舞台にしたパニック映画「新幹線大爆破」(75年)で注目を集め、松田優作さんらが出演する「人間の証明」などを手掛けた。中国で大規模ロケを行った「敦煌」(88年)など、大作を手堅くまとめる手腕に定評があり、「植村直己物語」の北極や「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」のシベリアなど困難な海外ロケも敢行、極地監督とも呼ばれた。

高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で大ヒットして話題に。日中合作「未完の対局」はモントリオール世界映画祭でグランプリに輝いた。

昨年11月、自らの映画人生を振り返ったインタビュー本「映画監督 佐藤純弥 映画よ憤怒の河を渉れ」が刊行され、特集上映が行われたばかりだった。タイトルとなった作品は中国で大ヒット。「体制による暴力と個人の相対」をテーマにした作品だが、デビュー作品「陸軍残虐物語」(63年)などの戦争映画や「組織暴力」(67年)に始まるヤクザ映画など、扱うテーマは違っても、根底は変わることがなかった。幼少時代、戦争による疎開でいじめにあったことが原点だ。

フィリピンのルバング島からの帰還兵小野田寛郎さんを描いた「ルバング島の奇跡 陸軍中野学校」(74年)「男たちの大和/YAMATO」(05年)で、訴えたかったことは反戦だった。「小野田さんを英雄視すれば戦争礼賛映画になりかねない。小野田さんが受けた戦争教育がルバング島で純粋培養された現象でしかない」としていた。

徹底した取材にこだわることでも有名だった。その真面目さが、時には「超能力者 未知への旅人」(94年)「北京原人 Who are you?」(97年)のような怪作をも生み出すこともあった。

壮大なスケールの映像にヒューマニズムなメッセージを込め、職人気質で淡々と撮影を続けた。

◆佐藤純弥(さとう・じゅんや) 1932年(昭7)11月6日、東京生まれ。東京大学卒業後、58年東映東京撮影所に助監督として入社。63年「陸軍残虐物語」で監督デビュー、68年にフリー。遺作は10年の「桜田門外ノ変」。08年、旭日小綬章。