日本テレビの演芸番組「笑点」などで知られる落語家三遊亭円楽(さんゆうて・えんらく)さん(本名吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)が29日午前8時15分、肺がんのため都内の長男宅で亡くなっていたことが30日、分かった。76歳だった。05年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、06年に「笑点」司会を勇退し、07年には現役も引退した。晩年はがんと闘いながら、一門落語会にも出演していた。葬儀は11月4日と5日に故人の遺志で近親者のみで行い、後日、お別れ会を行う。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 大往生だった。妻和子さん(76)長男寛家さん(44)夫妻と2人の孫(5歳と3歳)にみとられて、円楽さんの呼吸が、29日午前8時15分、静かに止まった。

 晩年は病気との闘いだった。50代から週3回の人工透析を受けていたが、05年に脳梗塞で倒れ、翌06年に83年から23年続いた「笑点」司会を勇退した。07年2月に最後となった高座「芝浜」の出来に満足できないと現役を引退。その年の11月に胃がんの摘出手術を受けた。昨年4月には肺にがんが転移していることが分かり、手術を受けた。今年5月に肺がんが再発。抗がん剤を投与したが、副作用で思うように効かず、投与をやめた。6月には主治医から「余命は半年」と告げられた。

 その後も入退院を繰り返し、9月10日すぎに再入院。肺にたまった水を抜いたりしたが、入院3日目に再び脳梗塞を起こし、右半身が不自由になった。今月23日に「最期は家で過ごしたい」と退院し、自宅近くの長男の家に戻った。25日までは大好きなNHK大河ドラマ「天地人」を見るなどしたが、26日に人工透析を受けた直後に容体が悪化。翌27日はベッドから起きてこず、食事もとらなかった。27番目の最後の弟子で今月真打ちに昇進した三遊亭王楽(31)が見舞いに訪れ「左手を握ったら、強く握り返してくれたので大丈夫と思ったのですが」。28日に体温が38度まで上がり、王楽が父好楽とともに再び見舞ったが、その時は反応がなかったという。29日は早朝から呼吸が荒くなり、家族の輪の中で息を引き取った。

 寛家さんは「あれだけの人だから、体がきかなくなって、死を覚悟していたんじゃないかと思います。娘が毎日のように『おじいちゃんディズニーシーに行こうね』と言っても笑うだけでした。いつもだったら『行こうね』と言うのに。姿形が格好よく、尊敬すべき父親でした」。車いす生活のため、段差のある自宅玄関にリフトの設置作業中だったが、皮肉にもこの日完成した。

 60年代に立川談志、古今亭志ん朝、春風亭柳朝とともに「落語四天王」と呼ばれ、「笑点」にレギュラー出演。端正な容姿から「星の王子さま」をキャッチフレーズに人気者になった。78年に師匠円生とともに落語協会を脱退。翌年の円生の死後も協会に戻らず、一門を率いて活動した。85年には6億円の私財を投じて自前の寄席「若竹」を開館。政財界の人脈も広く、86年に参院選出馬を打診されたこともあった。

 引退後は、円楽一門会の最高顧問となり、会長は一番弟子の鳳楽が継いだ。来年3月に楽太郎が円楽を襲名することが決まり、生前から足立区にある実家の寺に自分の墓を用意した。

 この日は自宅前に50人の報道陣が詰め掛けたが、多くの落語家が楽太郎プロデュース「博多・天神落語まつり」出演のため福岡におり、弔問には春風亭小朝らが訪れただけだった。引退後も一門会に随談という形で出演。11月27日からの国立演芸場「一門会」に1年ぶりに出演を予定し楽しみにしていたが、「円楽」として最後の高座はかなわなかった。

 [2009年10月31日8時57分

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