俳優渡哲也(69)が、3月28日付で第2代石原プロモーション社長を退任していたことが11日、分かった。初代社長の故石原裕次郎さん(享年52)の命日を控えた昨年7月に、まき子夫人(78)の自宅を訪ね、今年で先代と同じ社長在職24年になることを理由に「社長職を石原家にお返ししたい」と辞任の意思を伝えた。舘ひろし(61)神田正輝(60)も取締役を退任し、渡と同様に俳優業に専念。まき子夫人は、4月1日付で石原プロの全権を持つ代表取締役会長に就任した。

 社長生活に別れを告げていた渡は、顔を赤らめながら取材に応じた。「正直、ホッとしたというところでしょうか…」。実は、09年7月17日に東京・国立競技場で行われた裕次郎さんの二十三回忌を区切りとし、身を引こうと考えていたという。昨年の命日目前に、まき子夫人に「社長職をお返ししたい」と言い、辞表を提出していた。夫人から「23年間、裕さんと石原プロを守っていただき、ありがとうございました」と労をねぎらわれたという。

 今年で社長生活24年目。渡は裕次郎さんと同じ年月を務めあげた今しか、社長から身を引けないという思いを胸に一俳優に戻ることを決めた。まき子夫人も「次の後継者が決まるまで社長の席は空席にしたい」と最大限の配慮をしている。渡は裕次郎さんの遺志だった新作映画を作ることは実現できず「24年、石原の名を汚さぬよう務めてきた。やっぱり映画を作れなかったことは残念」と話した。

 持病の糖尿病の合併症で軽い心筋梗塞を発症し、退社が決まった小林正彦専務も、映画を作れなかった無念の思いを吐露した。「製作現場にいたころに4、5本、お客の来ない映画を作ってトラウマがあった。13、14本は映画の企画があり、10本は台本になったが、番頭として自信が持てなかった」と悔やんだ。

 渡の辞表提出をきっかけに、全社的に「新生石原プロ」への機運が高まった。3月20日の取締役会、同28日の定例株主総会を経て、渡、小林専務の“二頭体制”は幕を下ろした。2人と舘、神田を含めた6人の取締役は全員が退任。4月1日付でまき子夫人が代表取締役会長に就任し、5人の執行役員も選任されている。6月末日には、20人強在籍する全社員がいったん退社する。唯一の取締役で全権を持ったまき子夫人を支え、石原プロを盛り上げられる人材を再雇用するなどし、体制をスリム化する。

 現在は2年後の創立50年をめどに、「黒部の太陽」など劇場での再上映が行われていない同プロ製作の映画や、「西部警察」などドラマ作品のDVD化が検討されている。渡は「台本に共感できるものがあれば(演技を)やらせていただきたい。2、3本、お話はあります。年内にも(作品に)出ます。映画も新しい代になって実現されるかもしれない。1シーンくらい出させてください」と笑みを浮かべた。【村上幸将】

 ◆石原プロモーション

 日活の専属俳優だった石原裕次郎さんが、専属から本数契約へ切り替えるとともに、1963年(昭38)に自ら設立。第1作映画「太平洋ひとりぼっち」が、芸術祭賞を受賞。68年には三船プロとの共同で「黒部の太陽」を製作。71年には日活を退社した渡哲也が所属し副社長に就任した。映画界の衰退を受け、活動をテレビに広げ、72年から日本テレビ系「太陽にほえろ!」、79年からはテレビ朝日系「西部警察」をスタート。舘ひろし、神田正輝、峰竜太ら所属俳優が活躍。87年7月の裕次郎さんの死去に伴い、渡が2代目社長に就任した。