「ハードボイルドだど」の決めぜりふで知られるコメディアンで俳優の内藤陳さんが28日午後10時19分に亡くなったことが30日、分かった。75歳。今年11月末、食道がんの治療のため東京・昭和大学病院に入院。ここ数年は、直腸がんを発症し、入退院を繰り返していた。

 葬儀は近親者のみで行い、喪主は弟の黒瀬功(くろせ・いさお)氏。来年1月にお別れの会を予定しているが、日程、場所は未定。

 最期はベッドではなく、病室から出た内藤さんお気に入りの場所で、いすに腰掛けて、苦しむことはなかったという。内藤さんが東京・新宿のゴールデン街で経営するバー「深夜+1(しんやプラスワン)」の従業員の須長祐介さん(33)が最期をみとった。「口元をニヤリとして、笑顔のまま、スーッと天国にいかれました」と穏やかな幕引きだったという。

 最後の夕食は病院近くの精肉店で販売していた揚げ立てのメンチカツ、アジフライ、コロッケだった。内藤さんが散歩をして「おいしいコロッケを見つけたんだ」と須長さんに笑って話していたという。

 今年4月に公開された映画「これでいいのだ!!映画★赤塚不二夫」で、拳銃でのパフォーマンスを得意としていたこともあって「マタギのげんさん」役で出演したのが最後の演技だった。10代で榎本健一のお笑い学校の1期生として入学。ボードビリアンを目指していたことからタップ専科を選んだ。漫才トリオ、トリオ・ザ・パンチ在籍時からストリップ劇場の舞台に立ち、拳銃を撃ちまくるギャグで一躍人気者となった。

 父辰雄さんはプロレタリア文学の作家。読書家としても有名で、81年から「月刊プレイボーイ」で書評欄を担当。単行本としてシリーズ化されている。さらに同年、日本冒険小説協会を立ち上げ会長に就任。冒険小説、推理小説の作家らを側面から支援してきた。来年3月に同協会の30周年記念パーティーを静岡・熱海で企画しており「食道がんをやっつけて、元気になって熱海にいくぞ」と口ぐせのように話していたという。

 ◆内藤陳(ないとう・ちん)本名・内藤陳(のぶる)。1936年(昭11)9月18日、東京生まれ。日大芸術学部中退。62年に井波健、栗実とともに漫才トリオ、トリオ・ザ・パンチを結成し、舞台などで活躍。81年から月刊誌「プレイボーイ」で書評「読まずに死ねるか!」を連載。冒険小説やハードボイルド小説を紹介した。同年に日本冒険小説協会を設立して、会長に就任。「読まずに死ねるか!」シリーズを出版。主な出演映画に「麻雀放浪記」「玄海つれづれ節」「月はどっちに出ている」など。