「希望はやっぱり持たねとな」。

 7年ぶりの田植えに、福島県富岡町の農業渡辺伸さん(56)の真っ黒に日焼けした顔には自然と笑みが浮かんだ。富岡町では、東京電力福島第1原発事故による避難指示解除後初の田植えのシーズンを迎え、地元農家の組合と個人農家3人が作付けしている。

 そのうちの1人、渡辺さんは23日、事故前年以来の7年ぶりの田植えを行った。「作業してっと、本当に戻ってきたなあって気持ちんなる。生き生きしてられんのは、私の場合、これだから」。

 渡辺さんは富岡町で続く農家の5代目。事故前は10ヘクタールの水田でコシヒカリを育てていた。今回の田植えは町の実証栽培に参加する形で、自宅前の田2枚60アール分に県が15年かけて開発した「天のつぶ」の苗を植えた。

 昨春に農地除染が終わり、避難指示解除を見据えて避難先のいわきで就いていた復旧作業の仕事を昨年7月に退職。営農再開に本腰を入れ、避難先のいわき市からほとんど毎日通って、6年放置された水田の手入れを続けた。

 「ここまで来るのも大変だったんだ」。長年手間暇掛けた肥沃(ひよく)な表土を5センチもはぎ取り、赤い山砂を入れる除染作業の影響で、田の深いところにあった大小さまざまな石ころが掘り起こされてしまった。その石を2カ月かけて手作業で取り除き、用水路の詰まりを取り除いた。水を張った田での代かきは通常2回のところ、わずかに残ったいい土が水田の表面近くに落ち着くまで10回も行い、ようやく田植えができる状態までこぎ着けた。

 農機も配線がネズミに食いちぎられ、すべて修理が必要だった。農機小屋、母屋の屋根の修理、崩れた裏山の工事…。失った6年を取り戻すために働き続けた。その頑張りを農業の仲間も支えてくれた。この日の田植えには、昔なじみの南東北クボタの農機店が最新型の田植え機を持ってきてくれた。仲間の協力が、渡辺さんの笑顔を一段と明るくする。

 避難中に増えて人間を怖がらなくなったイノシシ対策で、事故前は必要なかった電気柵も今後設置しなければいけない。養分の減った土も1年1年、少しずつ肥やしていくつもりだ。「今年はこの土で、収穫量がどこまで行くか。焦ってもだめ。できることを1つ1つやっていくだけだ」。

 田植えの終わった水田にはアメンボが走り、水色のトンボも飛んできた。

 「この雰囲気。天気がよくて、風が吹いて、田んぼに苗がある。これなんだよ」

 9月末には、金色に輝く稲穂が揺れているはずだ。【清水優】