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「おぢゃっこ」がくれた決意 浦和学院の被災地訪問

 「おぢゃっこ」という文化がある。漢字で「お茶っこ」。宮城の方言で「お茶をする」という意味がある。お湯をわかし、仲の良い仲間と一緒に、お茶とお菓子と漬物などをつまんで休憩をする。ちょっとした、寛(くつろぎ)ぎの時間だ。年末の気忙しさに振り回されている中、先日「お茶っこ」に触れる出来事があった。ある野球部選手たちの、グラウンドでは見ることはできない姿に心が温まった。

仮設住宅の住民さんとふれ合い、新たな決意を抱いた浦和学院の選手たち
仮設住宅の住民さんとふれ合い、新たな決意を抱いた浦和学院の選手たち

 甲子園出場22回の浦和学院。2013年センバツ優勝を果たすなど、高校野球では名門と言われる強豪野球部だ。その浦学の選手、スタッフ84名が21日から3日間、被災地・東松島市、石巻市を訪ね、地元の子供たち、お年寄りなどと交流を行った。2011年から始まったこの活動。震災漂流物や遺品を拾うなどの復興支援から交流活動へと形を変え、今年で6年目となる。首都圏より7度ほど気温の低い宮城に約6時間かけてバスで移動し、公共施設に宿泊。大部屋に寝袋を並べ睡眠をとった。3班に分かれての活動は、仮設住宅の人への「石巻復興きずな新聞」配布、児童74名が犠牲となった大川小学校での献花、初日の出の名所・野蒜(のびる)海岸のゴミ拾い、東松島体育館の清掃、鹿妻小鹿クラブほか地元野球少年との野球交流など。日頃から「人として、何を感じ、考え、どう行動するか」を指導している森士監督(52)は、この経験で選手たちが心の成長を果たしてくれることを願っている。

 「石巻復興きずな新聞」というA4判(4頁)の小さな新聞がある。仮設住宅や復興公営住宅に住む人に向けた月1回発行の無料の新聞だ。震災後から住民とボランティアの交流を生み、傷ついた心の支えになっている。この新聞の配布を浦学の選手18人が手伝うことになった。コミュニケーション力が足りないと、普段から怒られている選手たち…、果たして大丈夫なのだろうか? 編集長・岩元暁子さんからは「怖い! みんなの顔が一生懸命すぎるよ」と笑われた。「試合の時のような威圧感はいらないよ。住民さんには明るく、元気に、笑顔で。相手の気持ちを考えながらお話ししていこうね」。助言を受け、2人1組で2日間、仮設住宅のドアを1軒1軒ノックして回った。

 「(トントン)こんにちは! きずな新聞をお届けに参りました!」

 玄関前で大きな声を出すのは大人でも勇気がいる。緊張で言葉を噛んでしまう選手もいた。復興が進み、空き家も多くなっている。引っ越しや災害公営住宅への転居で、10軒に3軒ほどしか住んでいないという状況だ。そんな中、広い団地を1軒1軒歩いて回る。この活動は新聞のポスティングだけが目的なのではなく、高齢の住民さんとの交流が大切。年々増えている孤独死、震災関連死の防止につながるからだ。新聞を渡した後、相手が会話を始めてくれた時の嬉しさは格別だった。

 「どこから来たの?」

 「高校生? 野球をやっているの?」

 野球は良くわからないけど、高校野球は好きだよ、と話すお年寄りが多かった。冷たい風を受けたため鼻と頬を赤くして立っていると、住民さんから思いがけない親切を受けることもあった。

 「外は寒いでしょう。おぢゃこしてくか?」

 仮設住宅の中に入らせてもらった選手もいた。広いとは言えない6畳ほどの部屋に、丸刈り頭をした大きな高校球児がくっついて正座で座り、おじいさん、おばあさんの話に耳をかたむけた。仮設で暮らす人は、津波で大切な人を亡くした人や、奇跡的に生き残った人が多い。そういう人と何を話したらいいか、何かを質問してもいいのだろうか。選手たちは緊張し、体を固くしていたが、住民さんは自分のほうから、津波の体験や、見たくなかった光景を見てしまった話を、どんどん話してくれた。選手たちは黙ってうなづきながら聞き続けた。自分は何を感じたか。集会所に戻り、選手同士で話し合った。

 「40分以上も話をして、住所を教えてくれた。写真を送ってこれからも繋がっていこう思いました。家が流され、今も眠れない日があるけど前向きに未来を信じて生きて行くと話してくれた。自分も人を大切にし、最幸の人生を送りたいと思った」(2年・桑野流佳選手)

 「始めはどう接したらいいか難しかったけど、2日目は会話が楽しかった。『絶対に甲子園に出てね。応援するからね』と言われて、夏の甲子園での姿を住民さんたちに見てもらい、夢を与えようと思いました」(2年・家盛陽介選手)

 選手たちの中に、新たな決意も生まれた。

 「苦しいことから逃げずに、もっと強くなる」(2年・仲里翔貴選手)

 「笑顔が素敵な『優男』になって、全国制覇する」(2年・燈中直樹選手)

 「今を全力で生きて熱い男になる」(1年・小町竜梧選手)

 「プレーで人を勇気づけたい」(1年・佐野涼弥選手)

 活動をする前よりも、選手たちが少し大人の顔つきになったように思えた。「おぢゃっこ」してくれたおじいさん、おばあさんに誓った「頑張る」という言葉の意味。それを行動で示せるかどうか。新しい1年がもうすぐ始まる。【樫本ゆき】

 [追記]

 11年、12年に参加した明石飛真さん(東洋大4年・学生コーチ)、笹川晃平さん(東洋大4年・前主将)が今回チームに同行し、4年ぶりの被災地を自分の目に焼き付けた。

 明石さんは「初めて参加した高2の時(津波で)スーパーの上にバスが乗っかっているのを見て、弁当が食べられなかったのを覚えている。当時、重機で取れないガレキや遺品を一つ一つ手で拾っていく作業をしたが、4年経って町の8割以上が整備されていて驚いた。住民の人と話すとまだ心に傷を抱えている人もいて、心の復興はまだだと感じました」。    

 社会人野球・東京ガスの入部が決まっている笹川さんは「被災地の人と年賀状のやり取りが続いていて『また行きたい』とずっと思っていた。プロを目指すため原点に返りたくて参加したが、必死だった高校時代をもう一度思い出せたし、4年間会いたかった人たちと再会できて逆に元気をもらった」と話した。2人の胸には確実に、被災地の人たちの思いが刻み込まれている。

仮設住宅を1軒1軒ノックして回ることは選手たちにとって想像以上に勇気が必要だった
仮設住宅を1軒1軒ノックして回ることは選手たちにとって想像以上に勇気が必要だった
3日目の23日は「スポーツの祭典」を題して石巻市民球場で体操や、野球を楽しんだ
3日目の23日は「スポーツの祭典」を題して石巻市民球場で体操や、野球を楽しんだ
4年ぶりに母校の交流活動に参加した(左から)笹川晃平さん、明石飛真さん
4年ぶりに母校の交流活動に参加した(左から)笹川晃平さん、明石飛真さん

ライター&エディター。千葉県・木更津市生まれ。94年日刊スポーツ出版社入社。「輝け甲子園の星」「プロ野球ai」などの編集に携わり、99年フリーに。共著に「終わらない夏」「聖地への疾走」「王者の魂」(日刊スポーツ出版社)ほか。昔はJK読者から「ホシのユキネー」なんて呼ばれていた時代もありました~(遠い目)。

  • TL

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