今大会の日本選手団第1号金メダルを獲得した萩野公介(21=東洋大)は、レースを終えプールサイドに上がると両手で派手にガッツポーズを決めて喜びを表した。

 萩野

 えー、本当にこう、いろいろあったんですけど。平井先生に金メダルをかけさせてあげたい、その一心でやりました。(勝利を確信したのは)平泳ぎを終えて、ラスト自由形を残していたところで。(隣のレーンの)ケイリシュが怖かったですけど。

 インタビューを受けている最中に、初の五輪で銅メダルを獲得した瀬戸大也(22=JSS毛呂山)も姿を見せ、お互いに笑顔を浮かべながらの共同インタビューとなった。最後に瀬戸が「おめでとう」と、萩野に祝福の言葉をかけ、まだまだ東京五輪まで続くであろう2人の激しいライバル争いは、同時表彰台という最高の結果をもたらした。

 萩野は12年ロンドン大会で、高校3年ながら銅メダリストになった。日本選手権は12年から連覇を続ける。そして日本記録も保持。五輪金メダルへの視界が広がる中、萩野の前に立ちはだかったのは終生のライバル瀬戸だった。ロンドン大会後から大一番に強い瀬戸に、12年世界短水路、13年世界選手権、14年世界短水路と世界大会で勝てない。

 小学3年の初対戦時は25メートル以上の大差をつけた。小学校時代は全勝。中学2年で瀬戸に初黒星も、対戦成績は勝る。実力は上との自負があるから「ライバルとは認めたくなかった」と本音をもらす。瀬戸に対して抱く「勝つ」ではなく「負けられない」との強すぎるライバル心が、攻めの気持ちを消していく。レース前に少しでも不安がよぎると「頑張って、真面目にやって負けるのは嫌だし、頑張りたくない」と、プライドがマイナスに働いたこともあった。

 14年12月の世界短水路、15年5月のジャパンオープン、同年6月の欧州GPと、立て続けに瀬戸に敗れた。負の連鎖が続くように、同月28日、合宿中のフランスで、練習場に行く途中に自転車で転倒し、右肘を骨折した。世界選手権欠場。平井伯昌コーチからは「骨折で出られないのは格好悪い。でも(瀬戸に)気持ちで負ける方が、もっと格好悪いし、いけないことだ」と諭された。「ノーガッツ、ノーグローリー」のラインも送られてきた。

 小学1年で1日1万メートル泳いだ。常に独り旅で圧倒し、同学年に敵はいない。戦う相手は常にタイム。だからこそ、急成長した瀬戸との競り合いになると、もろさが顔を出す。逆に常に「打倒萩野」を掲げる瀬戸には気迫負けする。もともと人嫌いで、自分の本音をさらけ出すことが苦手。相談相手は少ない。自然と行き詰まり、袋小路に迷い込んでしまった。志願して指導を仰いだ平井コーチにすら本音を言えず、コーチとの距離も遠くなっていた。

 右肘骨折で無念の帰国から1週間後の7月上旬。まだ泳げず、プールサイドでマネジャー業を手伝っていると、東洋大で平井氏を補佐する田垣コーチから声を掛けられた。「お前は平井先生に対して1歩引いてるぞ。『お願いします』、と入学した当時の思いで何事も取り組まないと、平井先生の思いも伝わらないぞ」。その言葉は心に響いた。

 小学生時代から怪童といわれ、エリート街道を歩んできた。自分1人で何でもできると思い上がった面はゼロではない。「自己中心的な考えがあった。自分さえ良ければと。平井先生に対しても受け身になっていた」。順調なときは自分だけを頼ればいい。ただ、瀬戸に対して不安を抱いたり、弱気になったとき、1人では行き詰まる。12年ロンドン大会後は、その繰り返し。骨折した右肘以上、心はもっと悲鳴をあげていた。

 耳の痛い話だった。速いだけの自分のままだったら聞き流していたかもしれない。ケガをして孤独に苦しんでいたからこそ、客観的に自分を振り返られた。「ストンと胸に落ちた。技術どうこうより、人間としてどうだったか。信頼する人がいるからこそ、スタート台の前に立ったときに、1人じゃないとか、感謝の気持ちが浮かぶ。もっと人に頼っていい」。平井コーチから常に「何でも言え」「弱い自分、ありのままの自分をさらけ出せ」との言葉もやっと理解できた。

 その日、部屋に帰ると、A4用紙2枚に、自らの思いを書き殴った。「自分は1人だと思い込んだ→その結果、試合で気持ち負け。自信なくす。(略)メンタルの強さを得るためには、心の底から応援してくれる人がいるからと思うこと。(略)受け身であってはいけない。その高い目標を達成するためなら、何が何でもという気持ちを持って取り組む。能動的に」。その2枚の紙は、決意表明としてその後、時を見て読むことになる。

 もちろん、簡単に人間は変わらない。1月の東京選手権。調整不足の瀬戸に対して弱気になり、接戦で辛勝。テレビの会見で平井コーチに「心技体の心が足りない。強く言いたい。もう許さない」と激怒された。3月のスペイン・高地合宿では引退した北島康介と同部屋になり、強烈な勝負魂を授かる。5月からは約2カ月半の欧州遠征。平井コーチとは毎食、一緒に食事を取り、時には釣りに行くなど、水泳以外でも語り合い、信頼関係を深めた。一方で、苦手意識のあった瀬戸への闘争心を高めた。

 骨折した右肘はもう真っすぐには伸びない。だが、屈折しかけた心は、やっと大舞台を前にしっかりと整った。「この4年間、ぼくが一番波瀾(はらん)万丈だと思う。でもその分、気持ちは強くなった。いい時も悪いときもプールはそこにある。永久不変。でも泳ぐ本人の気持ち、コンディションが違うと、プールは違った対応をしてくる。どう向き合うか。だから真摯(しんし)に向き合う。今はウエルカムです」。心技体のすべてがそろった萩野に、勝利の女神がほほ笑んだ。【田口潤】