<クラブW杯:マンチェスターU(イングランド)5-3G大阪>◇18日◇横浜◇準決勝

 G大阪の日本代表MF遠藤保仁(28)が、欧州王者マンチェスターU(イングランド)を相手に確かな光を放った。後半40分に“中速PK”で、元オランダ代表GKファンデルサールから2点目となるゴールを奪取。初戦アデレード戦に続き今大会2戦連発となった。3-5で敗れたが、スルーパスなど職人技を披露した。MFクリスティアーノ・ロナウド(23)率いるマンUは、前身トヨタ杯を含めれば9年ぶりの世界一を懸けて、21日の決勝で南米王者LDUキト(エクアドル)と対戦する。

 スタジアムを埋めた6万7618人の目が、遠藤に集まった。後半40分に得たPK。ペナルティースポットに立つと、集中力を高めるようにフーッと軽く息を吐いた。GKはオランダ代表で100戦以上に出場している百戦錬磨のファンデルサール。ジッとGKを見つめながら、6歩進む。得意の“コロコロ”ではなく中速PKでゴール左へ冷静に決めた。

 遠藤

 (相手GKが)デカくて反応も速いから、ゆっくり蹴ったら止められる。だからいつもより少し速いボールを蹴った。(GKが)ギリギリまで動かないことは分かっていたからね。

 世界へ名前を刻む1発だ。初戦アデレード戦に続く2戦連発。マンUの攻撃力に圧倒され、5発を浴びた直後だったため、派手なガッツポーズはなかった。

 それでも欧州王者を本気にさせた。前半13分。中央付近でボールを持つと、FW播戸をGKと1対1とする最高のスルーパス。得点には結びつかなかったが、この1プレーでスター軍団が目を覚ました。同20分にはCロナウドのボールを奪い、攻撃の芽をつんだ。後半18分に左スミを狙ったFKでは、ファンデルサールに冷や汗をかかせた。

 世界との真剣勝負を、待ち望んでいた。02年11月20日のアルゼンチン戦(埼玉)。日本代表としてのデビュー戦は、頭が真っ白になり「勝てる気がまったくしなかった」。あれから6年。紆余(うよ)曲折を経ながらも、多くの経験を積んだ。代表でも中心選手となり、自信もつかんだからこそ「簡単に負けたくない」と心から思った。

 マンUの強さだけではない。遠藤のプレーも、超満員の大観衆を魅了した。

 遠藤

 負けはしたけど、90分間楽しくできた。この貴重な経験をこれから生かすには、自分たち次第だと思う。来年もまた、この舞台に戻ってきたい。またマンUとやりたい。

 日本勢初の決勝進出こそ逃したが、遠藤は横浜のピッチで確かな光を放った。【益子浩一】

 ◆遠藤保仁(えんどう・やすひと)1980年(昭和55年)1月28日、鹿児島・桜島町(現鹿児島市)生まれ。鹿児島実から98年横浜F入り。クラブ消滅で99年京都、01年にG大阪移籍。99年ワールドユース(現U-20W杯)準優勝。00年シドニー五輪は予選で主力だったが、本大会出場は補欠。国際Aマッチ73試合7得点。J1通算306試合65得点。178センチ、75キロ。家族は夫人と2女1男。

 ◆遠藤の世界大会

 世界一に最も近づいたのはトルシエ監督の下で準優勝した99年ワールドユース(現U-20W杯)で、主力として7試合に出場した。00年シドニー五輪は予選で主力だったが、本大会は補欠登録。06年W杯ドイツ大会はフィールド選手でただ1人出番がなく、今夏の北京五輪はオーバーエージ(年齢制限外)枠で選ばれたがウイルス感染症で辞退した。