サッカーの神様が、W杯出場の可能性を残しながら電撃辞任した。元日本代表監督で、イラク代表を率いるジーコ監督(59)が日本時間27日に、自身の公式サイトでイラク代表監督辞任を表明した。日本と同組で戦うブラジルW杯アジア最終予選B組で3位につけている中で突然の辞任。イラクサッカー協会の契約不履行を理由に挙げ、今夏に勃発した給与未払い問題などが改善されなかったことが、決め手となったようだ。

 サッカーの神様も、我慢の限界だった。ジーコ氏がイラク代表監督を電撃辞任した。自身の公式サイト上で「27日の12時(日本時間同日午後11時)で、イラク代表監督としての契約を終了したことを発表します。イラクサッカー協会の契約不履行を理由に、FIFA(国際サッカー連盟)及びイラクサッカー協会に対して、契約解消の通知をしました。詳細についてはまた後日報告します」と、怒りの表明をした。

 辞任の予兆は今夏からあった。7月に同監督に対してだけでなく、兄で同代表のコーチであるエドゥー氏にも給与未払いを理由に、自身の公式サイトで辞任の可能性を示唆し、イラクサッカー協会に対して警告。協会側の対応により続投が決まったが、今月に入ってまたしても金銭トラブルが判明していた。エドゥー氏は既にチームを離脱し、ブラジルに帰国。ついに指揮官までもが離れる決意を固めた。

 同代表に近い人間によると、未払いだけでなく代表選手のビザの発給が困難で、同監督が呼べない選手も出ていた。安全性を確保できていないことを理由にイラク国内での試合開催の許可が下りないため、ホーム試合をカタール・ドーハで開催。入国の際にビザが出ない選手もいたという。同協会が把握していた選手のパスポート番号と、実際の番号が違うなど不手際が多発。バグダッドでの合宿中も、練習場に向かうと鍵が閉まっており、練習ができないという初歩的な人為ミスが起こるほど機能していなかった。

 それでもチームは昨年8月29日にジーコ氏が監督に就任して以来、さまざまな困難に直面しながらも着実に力をつけ、W杯ブラジル大会出場をかけたアジア最終予選で今月14日、日本がオマーンに勝利を収めた裏で、ヨルダンを1-0で下し初白星を挙げていた。

 現在オーストラリア、オマーンと勝ち点5で並び、同組2位でのW杯出場の可能性を十分に残している。にもかかわらず「ピッチ外でのストレスが多すぎた」と辞任の道を選んだ。かつて「このチャレンジは私の人生における使命だと感じている。サッカーを通じて他国との争いを避け、和を広げる。国の再興につなげる」と語っていただけに、ジーコ氏自身にとって苦渋の決断だったに違いない。<ジーコ監督実績>

 ◆日本代表

 02年7月22日に就任。06年W杯ドイツ大会まで指揮。04年アジア杯中国大会で優勝。世界最速でW杯予選を突破も、本大会では1分け2敗と1次リーグ最下位。契約満了で退任。

 ◆フェネルバフチェ(トルコ)

 06年7月に就任。08年まで指揮。国内リーグ優勝1回、欧州チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝進出。契約延長の条件が合わず退任。

 ◆ブニョドコル(ウズベキスタン)

 08年9月に就任。09年まで指揮。国内リーグと国内杯の2冠を獲得。CSKAモスクワのオファーを受け辞任。

 ◆CSKAモスクワ(ロシア)

 09年1月に就任。同年の9月まで指揮。ロシアスーパー杯と国内杯の2冠獲得も、UEFA杯(現欧州リーグ)敗退で成績不振を理由に解任。

 ◆オリンピアコス(ギリシャ)

 09年9月に就任。10年1月まで指揮。国内リーグ2位、欧州CL16強も成績不振で解任され「信じられない」と話した。