<岡田監督インタビューその2>

 前日本代表監督で中国スーパーリーグ杭州緑城を率いる岡田武史監督(56)。一時は今季限りでの退任の意向を固めながら、8月の「出来事」で一転続投を決意した。それと時を同じくして発生した中国国内での激しい反日運動。2回目は反日運動のさなか、中国で中国のクラブを指揮する立場として感じた、スポーツの役割、自身の役割について語った。

 杭州緑城の監督就任に向けて交渉を行った直後の昨年12月7日。上海浦東国際空港で、岡田監督は「(杭州緑城の)宋衛平オーナーとは『日中は政治ではいろいろあるけど、我々はサッカーという草の根の部分でしっかりやりましょう』と話した」と明かしていた。そして9月。尖閣諸島に関する問題が勃発。反日デモが激化するさなか、中国で指揮を執る状況が生じた。

 岡田監督

 僕はそういう状況を想定していた。だから、実際にそういう状況が起こってみて「これで、ますます帰るわけにはいかなくなった。意地でもここで頑張らないといけない」と強く思ったね。

 激化した反日デモにより、中国にある日系企業が大きな被害を受けるなど、日本人や日本企業に向けた中国国内の風当たりが極めて強くなった。中国人に囲まれて仕事をする指揮官にとって苦難があったと思われたが、杭州市内は本拠地の黄龍体育センターの周囲でそれほど大きくはないデモがあった程度だった。

 岡田監督

 本当に大変だった場所もある。だから、僕らが特別だったのかもしれないけど、居づらさとかはなかった。少なくとも僕の周りでは嫌な思いはなかった。僕は政治家でも何でもないから、できるのはチームにいる中国人、韓国人、日本人が心を1つにして戦う姿を見せること。選手にも特別な話はしなかった。心配で日本からメールや電話がバンバンあったけど。ただ、(9月18日の)大きなデモがあった日(※注)は、オーナーがリゾートホテルを取ってくれてクルージングでリラックスさせてくれた。気分転換しろって。そういう風に気を使ってくれたことはあった。

 9月15日のホーム山東魯能戦が10月3日に延期、同22日のアウェー遼寧宏運戦は翌日23日に中立地北京で「無観客試合」として開催された。日本人が率いる杭州緑城に対する警備上の問題と報じられたが、実は違った。山東戦は反日デモの警備に人員が割かれ競技場の警備が困難になったことが原因で、他会場の2試合も同様の原因で延期となった。遼寧戦については、故障者続出を理由に試合延期を画策した遼寧へのリーグ側の罰則による中立地での無観客試合の実施だった。

 岡田監督

 僕が日本人だからそうなったわけじゃない。(反日運動が激化した時期に)反日感情が強いと言われる南京で練習試合をやった。ピッチのすぐ脇に相手サポーターがいて、うちの中国人コーチは「大丈夫かな?」と心配していたけど、そういう(反日的な)やじは皆無だった。(その3へつづく)【取材・構成=菅家大輔】

 【※注】「9月18日」は、旧日本軍の陸軍部隊の関東軍が1931年(昭6)9月18日に南満州鉄道の線路を爆破した「柳条湖事件(九一八事変)」が起きた日。満州事変の発端となり、中国では日本の侵略が始まった「国辱の日」とされている。その柳条湖事件から81年となった今年は、尖閣諸島国有化に抗議する反日デモが北京や上海、広東省広州など100以上の都市で起こり、各地で日本企業の休業が相次いだ。

 ○…岡田監督がソファに腰をかけると愛犬が駆け寄ってきた。名前はパンちゃん。「パンダコパンダから名前を取った」と説明すると、八重子夫人のつっこみが入った。パンダコパンダは、宮崎駿監督が脚本を務めた72年のアニメ映画。登場する子パンダの名前がパンだった。ただ、八重子夫人によると「この子は昔、もっと(食べ物の)パンのように茶色だったので、そこからパンちゃんと名付けました」とのこと。それを聞いた監督は「そうだっけ」。