「人類最速の男」ウサイン・ボルト(29=ジャマイカ)が「限界説」を吹き飛ばした。向かい風0・5メートルの男子100メートル決勝で今季自己最高の9秒79を出して、2連覇を達成。絶好調のジャスティン・ガトリン(33=米国)にわずか0秒01の差で競り勝った。大会前は左足故障による調整の乱れで「ボルト、危うし」とみられたが、11年大邱大会同200メートルから続く世界大会での連勝を「9」に伸ばした。

 わずか0秒01差でも、勝利は確信した。順位が確定する前に、指で天をさして、左足で空中を蹴り上げた。1位を確認する前から、ウイニングラン。「鳥の巣」で代名詞のボルトポーズを3発もさく裂させた。

 ガトリンとの一騎打ち。ほぼ並走して残り5メートル。つまずいてバランスを崩したライバルを尻目に歯を食いしばって腕を振った。「(ガトリンが)つまずいたのが見えたが、自分がやるべきことを考えた。自分を保つことを考えた。皆は、あまり良くないレースというかもしれない。だがオレは誰よりも速く走ったぜ」。7年前に伝説の始まりとなった同じ北京の地で、王者の牙城を守った。

 不穏な空気が流れたのは準決勝だった。スタートから4歩目につまずいた。ラスト10メートルで一気に3人を抜いて1着通過したが、危うく負けるところだった。ゴール直後には「問題ない」とばかりに首を左右に振ったが「鳥の巣」は騒然。「オレもまだベストじゃない。つまずいたから。準決勝の後でコーチに言われたんだ。『考えすぎだ』とね。彼は正しい。おれはやるべきことがわかっている」。

 ボルト、危うし-。大会前からそんなムードは漂っていた。左足の故障で、7月に2試合を欠場。ガトリンは同9秒74と絶好調だった。しかしコーチの助言もあって、決勝ではレースに集中。スタート前には顔を両手で隠して「いない、いない、ばあ」とおどけて、会場を大いに沸かせた。

 これで、世界選手権最多の金メダル9個を獲得した。12年ロンドン五輪で「オレは全然尊敬していない」とけんかを売った「陸上界のレジェンド」カール・ルイス氏(米国)らを抜いて単独トップに立った。通算メダル獲得数もルイス氏を抜いて11個目を獲得。今大会最初の種目であっさり「ルイス超え」を果たした。

 「これで大好きな200メートルに向かうことができるぜ」。今大会は200メートル、400メートルリレーに出場する予定。2大会連続の短距離3冠まで突き進む構えだ。「オレの目標は、引退するまでNO・1でいることだ!」。21日に29歳になった「稲妻」が限界説を吹き飛ばし、またひとつ金色に輝くメダルを手に入れた。【益田一弘】

 ◆ウサイン・ボルト 1986年8月21日、ジャマイカ・トレロニー生まれ。少年時代はサッカーやクリケットに打ち込み、13歳から陸上を始める。当初は200メートルが専門だった。02年世界ジュニア選手権を史上最年少の15歳で優勝。04年には17歳で19秒93のジュニア世界新をマーク。07年の世界選手権大阪大会200メートルで2位となり、100メートルに本格参戦。08年の北京五輪でリレーを含めて短距離3冠。09年の世界選手権ベルリン大会では100メートルを9秒58、200メートルを19秒19の世界新で優勝。12年ロンドン五輪、13年世界選手権モスクワ大会でも短距離3冠と、大舞台では無敵を誇る。趣味はテニス観戦、サッカー。196センチ、86キロ。