アジア大会の競泳男子400メートル個人メドレー、金メダルの萩野公介はゴールした後、銅メダルの瀬戸大也と固い握手をした。もう10年以上も、レース後に繰り返されてきたシーン。「どうだ。勝ったぞ」と得意げな笑顔の萩野に「やられちゃった。でも、次は勝ってやる」と悔しそうな瀬戸。アジアのトップを決める大会でも、そこは2人だけの空間だった。

 昨年の世界選手権でも見られた萩野と瀬戸の争い。ともに大学2年生の2人は小学生の頃からの「ライバル同士」とされる。埼玉と栃木、小学校もスイミングスクールも違うが、大会ではいつも顔を合わせた。萩野は「大也がいたから、今の自分がある」といい、瀬戸も「公介がいるから、頑張れた」と話す。

 「切磋琢磨(せっさたくま)」という言葉がある。かつてはよく使われていたけれど、最近は選手からも聞くことが少ない。記事に使うことも、めったになかった。2人と話をしていると、よく出てくる。特に瀬戸はテレビのインタビューなどでも、萩野との関係についてこの言葉を繰り返している。

 実際には、体も大きく素質に恵まれていた萩野がいつも先行していた。小学生の頃から「はるかに前で、追いつけなかった」と瀬戸はいう。しかし「公介に勝ちたい」という思いがあったから頑張れた。10年以上で、勝ったのは「中2の時と高2の時だけ」と瀬戸。昨年の世界選手権400メートル個人メドレーで金メダルに輝いた時でさえ「タイムは公介の方が速い。まだ公介の方が上」と話していた。

 萩野も瀬戸に負ければ悔しい。「次は大也に負けたくない」と言い切り、弱点克服に励む。ただ、自分も負けたくないけれど、大也が勝つことはうれしい。金メダルが期待された昨年の世界選手権400メートル個人メドレーでは、ラストの失速を反省しながらも「大也が勝ったのが救い」とも話した。本当に、いい関係なんだろうと思う。

 私生活でも仲がいい。日本代表の練習の時などは談笑する姿をよく見るし、合宿や遠征の前後には一緒に食事をするという。水泳の話はもちろん、大学の話や友だちの話など、時間を忘れて楽しむ。世界の頂点を争う2人の関係は、誰の目にもうらやましく映る。

 2人だけではなく、この世代には高いレベルの選手が多い。平泳ぎで世界記録を出した山口観弘やアジア大会自由形、バタフライ代表の平井健太、平泳ぎ代表の小日向一輝は全員が大学2年生。今大会の平井監督は数年前、高校生の彼らを「黄金世代」と呼んだ。実力だけではなく、世界と戦う高い意識。「練習への取り組み方が違う。彼らが中心になった時、日本はもっと強くなる」と話した。その通りになってきた。6年後は25、26歳。東京五輪では金メダルラッシュも期待できる。

 1932年ロサンゼルス五輪では、日本の男子競泳陣が大活躍した。当時6種目のうち、5種目で金メダル。100メートル背泳ぎの表彰台独占など銀メダル4、銅メダル2と圧倒的な強さだった。「水泳ニッポン」再び-。萩野と瀬戸、さらに同世代の選手たちの「切磋琢磨(せっさたくま)」に期待したい。