会見全体を通してまるで卒業式の後のような、吹っ切れたすがすがしい表情だった。

 その記者会見では「何が自分を支えていたのか?」「何がモチベーションだったのか?」

 繰り返される理由を聞く質問に、時に考え込みながら答える浅田真央選手を見ながら、実は明確な理由を自分で感じてないのではないかと思った。

 一般的に私たちの世界では、人間の行動には理由があり、努力をするためには理由があるというモデルが信じられている。特につらい局面が多いトップ選手であれば、必ず競技を続けていくための理由があるはずだと考える。

 選手も聞かれれば競技をやっている理由を答える。だが実のところ選手にもなぜ競技をしているのか、そして引退する時にもなぜ引退するのかよくわからないことがある。時代に名前を残したいから、夢を与えたいから、いろいろと言ってみるがどれもしっくりこない。もし許されるのなら、こう答えてしまいたいという欲求にかられる。

 「理由なんてないんです。ただ目の前にあるものを夢中でやってきた。そしたらここまできていただけなんです」と。

 本当に理由なくつらい練習やプレッシャーに耐えられるのか? という疑問もあるだろう。もちろんすべての人がそういうわけではない。どんな選手にもつらいこともあるし、タイミングに応じてそれなりにモチベーションの源はある。それでも一番根本のところで、さしたる理由がないまま努力をしている選手が時に存在する。いや、努力と思っているのは周囲だけで、本人にとっては夢中になっているだけかもしれない。そうした選手が必ずと言っていいほどまとう空気がある。無邪気さであり天真爛漫(らんまん)さだ。

 天真爛漫さや無邪気さを持ち合わせた選手は、今を生きている。過去を悔やまず未来を憂うことをしない。そうした選手を前にすると、振り返りや未来の計画や、行動の意図を聞くことが野暮に思えてしまう。どんな質問も本人にしてみれば「ただそう思っただけです」としか答えられない。過去では、野球の長嶋茂雄監督に同じような印象を持った。

 「子供の頃の合宿で、目標を達成できたことがうれしかった」

 昔の思い出を語った浅田選手の返答だ。子供の時に感じたスケートの面白さや、習得する喜びを夢中で追いかけ、無邪気にただスケートが好きでやっていた。それこそが浅田選手の魅力であり、浅田選手自身のスケーティングだったのではないかと思う。私たちはその物語を共有していた。

 7月にはアイスショーが予定されている。選手としての引退に動揺しているのは、もしかして私たちだけかもしれない。ただ勝ち負けがなくなっただけで、浅田選手のスケーティングは続いていく。もしかしてこれからの演技は、もっと彼女らしさがあふれているのかもしれないなと思わされる会見だった。(為末大)