ジャイアンツ寮での所用を終え、トイレを借りて用を済ませて帰ろうとすると、鏡に向かって身だしなみを整えている若い選手と隣り合わせになった。今から9年前の巨人坂本勇人内野手(28)である。

 不慣れなネクタイを締めるのに苦労している様子だった。鮮やかな水色のバーバリー。新品は結びのかかりが悪く、なかなか上手に形を作れなかった。「しっかり結べてますかね。大丈夫ですか」と聞かれた。少し手を貸し「これでOK」と言うと「ありがとうございます。これからNPBの表彰なんで。新人王は山口さんだったんですけど、賞をいただけるみたいで」。少しはにかんで、うれしそうに寮の車に乗り込んだ。

 一回り年が離れている。仲よしの山口と出場する初のオールスターへ向かう車中から、電話で話したこともある。なぜそうなったのかは忘れたが、主な話題は恋愛だった。「結局、好きかどうかが問題じゃないかな」「そうですよねぇ…。オールスター、行ってきます」。当時の坂本とは、ほのぼのとしたこの手のやりとりが結構あった。

 1年目からジャイアンツ球場が真っ暗になるまで打ち込んで、ひっくり返って動けなくなる姿をよく見ていた。母を亡くしても悲しいそぶりを見せず、あっという間に駆け上がっていった。打てなければ機嫌が悪いし、打って勝てば人なつこい笑顔。分からないことは誰にでも素直に、しっかりと目を見て聞く。球団問わずに自然と周囲にかわいがられる彼から、コミュニケーション能力はプロ野球選手の大切な資質なんだと教わった。

 実績と年齢を重ねるにつれて、少しずつ立ち居振る舞いが変わっていった。5、6年ほど前、夏の福岡である。「せっかくだから最後においしいラーメンでも食べて帰ろう」と、中心部から少し離れた長浜へ向かった。

 海に面した埋め立て地の長浜は、外灯も人気も少ない。私はタクシーから降りると迷子に。年がいもなく最初の店ではしゃぎ、なぜかメガネのレンズが外れている。途方に暮れていると「お~い」と大きな声が聞こえた。「やっと見つかりましたね~。探したんですよ。さ、行きましょ」。肩まで貸してもらって坂本に助けられ、翌日は「メガネ、ちゃんと直しましたか。気をつけないと」と言われた。精神年齢で完全に追い抜かれたと確信した瞬間である。恥ずかしく、でも何かうれしく思った。

 担当を離れて毎日顔を合わせることはなくなったが、グラウンドでの姿も言動も、明らかに変わったように映る。勝っても負けてもいつも堂々、最高の持ち味である朗らかさも忘れていない。やんちゃな時期を通り越し、その経験が懐になって、すっかり巨人の顔らしく醸造された。1人の野球少年が大人になっていく過程。触れることは仕事冥利(みょうり)だろう。

 侍ジャパンの小久保監督は今回、主将を置かない方針という。坂本には、万人を引き付ける太陽の存在感がある。胸を張ってチームを引っ張ってもらいたい。【宮下敬至】

 ◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍。