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信成パパ、ラストシーズンで息子に勇姿を

2人の息子のために五輪出場を懸けて全日本フィギュアを滑る織田
2人の息子のために五輪出場を懸けて全日本フィギュアを滑る織田

 「もう泣かせないでくださいよ~、まだ初戦やのに…」。涙がこぼれたことを恥ずかしそうに、照れまくる織田信成(26=関大大学院)がいた。9月のネーベルホルン杯(ドイツ)。今季限りでの引退を決めている五輪シーズン初の公式戦のことだった。聞かれたのは、ここまでの日々を振り返る質問…。

 10年バンクーバー五輪7位。高橋大輔、小塚崇彦らと長く日本男子を支え、織田信長の子孫としても世間に知られた織田が、その中心から姿を消したのは11年秋。11月のグランプリ(GP)シリーズ中国杯は2位と踏ん張ったが、続くフランス杯ではGP自己最低の7位に沈んだ。原因は左膝蓋骨靱帯(じんたい)炎の悪化。ジャンプ練習の負担から、5月に腱(けん)が部分断裂しながら戦ってきたが、限界だった。12月の全日本選手権は欠場し、リハビリ生活が始まった。

長いリハビリ生活

「涙」のイメージがある織田だが、この笑顔も魅力のひとつだ
「涙」のイメージがある織田だが、この笑顔も魅力のひとつだ

 酸素カプセル、赤外線治療など、月に数度も上京して専門医に通う日々。長く万全な練習を積めなかった影響は大きく、復帰した昨季も成績は上がらなかった。12年全日本選手権で5位に終わって世界選手権代表を逃した。

 ただ、その直後に13年を明るく照らす吉報が待っていた。1月5日、次男の信之介くんが誕生。10年10月に生まれた長男信太朗(しんたろう)くんと、2人の父親になった。「年が新しくなってハッピーなニュースが舞い込んできた。良い年になるんじゃないかと思う」と予感していた。

 迎えた五輪シーズン。いきなり合計得点で自己ベストの262・98点を出したのが、「泣かせないでください」と照れたネーベルホルン杯だった。続くGPスケートカナダは3位、NHK杯は2位と連続表彰台に立った。ファイナルにも補欠の繰り上がりで出場。故障を乗り越えてきた「パパさんスケーター」は、再び日本男子の中心に戻ろうとしている。

 「子供に格好いい父親の姿を見せたい」。それはソチで滑る姿以外にない。全日本選手権、息子たちのためにも父は五輪切符を勝ち取る。【日刊スポーツ・阿部健吾】

◆織田信成(おだ・のぶなり)
 1987年(昭62)3月25日、大阪・高槻市生まれ。阿武野―関大―関大大学院。05年NHK杯でGPデビュー2戦目にして初優勝。06年4大陸選手権優勝。08年NHK杯、全日本選手権優勝。10年バンクーバー五輪7位。今季はGPシリーズのスケートカナダ3位、NHK杯2位。高橋大輔のケガにより繰り上がりでGPファイナル出場。織田信長から数えて17代目の末裔(まつえい)。164センチ、52キロ。家族は夫人と2男。
第1回
町田樹
第2回
安藤美姫
第3回
織田信成
第4回
小塚崇彦
第5回
村上佳菜子
第6回
鈴木明子
2005年
過去の激闘史








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