プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月27日付紙面を振り返ります。1994年の3面(東京版)は、フィギュアスケートでウクライナのバイウルが金メダルを獲得と報じています。

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 ウクライナ初の金メダリスト、バイウルをたたえる表彰式が始まらない。舞台裏では、国歌の準備が整わないハプニングに大騒ぎだった。「各国国歌を収めているコンパクトディスクに、提出が遅れていたウクライナ国歌が録音されていないのに気付かなかった」(組織委)。ウクライナの役員が、カセットテープを宿舎まで取りに帰り、予定を少し遅らせて事なきを得たが、「重大なミス」と組織委は平謝りした。

 表彰式が終わっても、16歳の女王の涙が止まらなかった。「母と一緒にいる気持ちで」と、これまでの思い出を胸に秘めて演技。ミュージカルナンバーに乗り、5種類の3回転ジャンプを決めた。3回転4種類に終わったケリガンとの差はわずか。指先まで細やかな演技に、審判9人のうち、最後にドイツ(旧東独)の審判が芸術点で1位をつけて過半数の5人になった。

 数々の悲劇を乗り越えて、頂点にたどり着いた。2歳の時に両親が離婚。3歳でフィギュアを勧めた母は、祖父母に続いてバイウル13歳の時にがんで他界。旧ソ連の体制が崩壊し、当時のコーチは国を去った。アルベールビル五輪男子金のペトレンコを育てたズミエフスカヤ現コーチに引き取られ、才能が開花した。

 悲運は大会中にも襲った。24日の練習中にシェフチェンコ(16=ドイツ)と衝突し、ジャンプの着地足の右ふくらはぎを3針縫った。「美しさを追求するため」包帯を外し、強打した背中に痛み止めを打った。「今までのつらさが、私を強くしてくれた。今、私は幸せです」と振り返った。

 お祝いに何が? 「チョコレートバーをください」と、ようやく笑みが広がった。5200万のウクライナ国民は快挙を喜び、クラフチュク大統領は「演技と勇気に感動した」と祝電を送った。

◆オクサナ・バイウル すい星のように登場した16歳の世界チャンピオン。ほとんど無名だったが、昨年1月の欧州選手権で2位になり、3月の世界選手権で優勝、一躍世界の頂点に立った。同じウクライナ出身でアルベールビル五輪男子金メダリストのペトレンコらの援助を受けてスケートを続けてきた。159センチ、43キロ。