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エース対談 - 関学

関学高で甲子園出場の3人が大学でも旋風 アメフト鳥内&梅本×硬式野球山崎

甲子園出場経験のある関学大の(左から)鳥内、山崎、梅本
甲子園出場経験のある関学大の(左から)鳥内、山崎、梅本

記者 関西学院高等部で野球をされていたみなさんですが、初めて試合に出場したのはいつですか?

梅本 この3人の中だったら自分が一番遅かったです。山崎が1番早くて、1年生時の秋から試合に出ていました。

山崎 でも最初にホームランを打ったのは鳥内ですよ。こいつすげーなと思いました。

鳥内 たまたまです。(笑)

梅本 3人全員がベンチ入りしたのは2年生時の秋からですね。

記者 当時のお互いの印象はいかがでしたか?

鳥内 山崎はあまり身体が大きくないけど、俊敏性があるし周りを良く見れていました。結構打つし、1年生時の秋からレギュラーだったので一目置かれる存在でしたね。

山崎 梅本は足が速かったです。鳥内は無難にこなしていた印象です。仲は良かったですね。

記者 3年生時の夏には70年ぶりに甲子園出場を決めましたが?

山崎 県大会はくじ運が悪かったので、とにかく一戦一戦戦っていこうと思っていました。

梅本 練習試合でも、選抜ベスト4だった報徳学園高校(兵庫)や大阪桐蔭高校(大阪)に勝っていましたね。

山崎 十分に戦える戦力はありました。

梅本 普通にやったら負けない状態だったと思います。ピッチャーだけが不安要素でしたが、その穴を捕手だった山崎が投手も兼任して埋めてくれた感じです。

記者 キャッチャーだった山崎さんがピッチャーも務めるようになったいきさつを教えてください。

梅本 練習が終わってから、ずっと山崎がブルペンで投げてたんだよな?

鳥内 いや、バッティングピッチャー。

山崎 そうそう。バッティングピッチャーをしている時、コントロールが良くてけっこうストライクが入っていました。それを、怪我した左ピッチャーの代わりを探していた監督が見ていたのだと思います。3年生時の三田学園戦で投げてみたら3人であっさり終われたので、そこからピッチャーもするようになりました。

記者 甲子園に出場してみていかがでしたか?

山崎 今思うとすごかったですね。4万人くらいの観客の中で試合ができたので。

梅本 甲子園出場が決まった次の日、学校に行ったら生活が変わっていました。テレビ局が取材に来ていたし、ユニホームやバットはスポーツメーカーさんから新しいのをいただき、知らない世界が見れました。

山崎 甲子園での試合はとにかく楽しんで試合ができました。

鳥内 本当に全然緊張しなかったですよ。

記者 大学入学後、梅本さん、鳥内さんはアメフット、山崎さんは硬式野球とそれぞれのフィールドで活躍されていますがお互いどのように見ていますか?

山崎 何度かアメフトの応援に行きましたが、梅本と鳥内が試合に出ていたらより応援しますね。高校生時からアメフトをしていても途中でやめる人もいる中、2人は大学から始めたのにスタメンで活躍しているのですごいと思います。

梅本 大学野球はあまり見ないですが、試合翌日のスポーツ新聞を見たら、また山崎打ったのかと思いますね。もっと注目されてもいいと思います。

記者 関大の存在をどのように感じていますか?

山崎 他の大学よりもより負けたくない存在です。

鳥内 関大は近年強くなってきている大学。絶対に負けられないチームです。

梅本 関西では立命大、京大と並んで意識しているチームですね。

記者 総合関関戦への意気込みをお願いします。

鳥内 アメフトは前哨戦で負けてしまったので、硬式野球部にはぜひ勝ってほしいです。自分たちの雪辱を果たしてもらいたいですね。

山崎 リーグでは勝ち点を取れたけど、関大も勝ちにこだわってくると思います。それをはね返すくらいの勢いで戦いたいです。

◆鳥内将希(商3)
 アメリカンフットボール部3年生。DB(ディフェンスバック)。1991年(平3)10月12生まれ。176センチ、75キロ。関西学院高等部出身。座右の銘は「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」。高校3年生時に夏の甲子園に外野手として出場。大学からアメリカンフットボール部ファイターズに入部し、2年生時からスタメンとして定着。11年の学生日本一に貢献した。父の鳥内秀晃氏はアメリカンフットボール部監督。
◆山崎裕樹(経3)
 硬式野球部3年生。捕手。1991年(平3)4月5日生まれ。168センチ、67キロ。関西学院高等部出身。座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」。高校3年生時に夏の甲子園に捕手・投手として出場。09年高校日本代表選出。関学硬式野球部では1年生時より捕手として出場。
◆梅本裕之(法3)
 アメリカンフットボール部3年生。WR(ワイドレシーバー)。1991年(平3)4月6生まれ。179センチ、77キロ。関西学院高等部出身。座右の銘は「急がば回れ」。高校3年生時に夏の甲子園に外野手として出場。大学からアメフットを始め、2年生時からスタメンとして定着。11年の学生日本一に貢献した。



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