師走のジャイアンツ球場で偶然、1人ブルペン投球の左腕を見かけた。グラブでポンと右膝をたたいてタイミングを取る特徴的なフォームに、高木京介投手(28)の覚えがあった。

 1球ごとに首をかしげたり、シャドーをしたり。スライダーに納得いかない様子だった。いわゆる野球賭博問題の当事者であり、16年に1年間の失格処分を受けている。実戦から離れていた選手、しかも投手が感覚を取り戻す。簡単ではないとすぐ想像がついた。

 話すのはいつ以来? 帰りしなを待った。右手で握手したが何と言っていいか分からず、間ができた。察したのか彼は自分から言った。「秋のキャンプでかなり追い込むことができました。1日1日、全力で。それしかできないです。来年の2月1日、キャンプ初日に100%を出せるように、必死に頑張ります」。言葉の平凡に重みを感じた。

 書きためてきたすべての原稿からパソコンで「高木京介」を絞り込むと、プロ1年目からの合計で615行、1行12文字なので7380文字が眠っていた。

 「小学時代、いつも週末の午前3時に石川テレビ前集合。車で送ってもらい、名古屋で練習試合でした。両親に感謝を伝えたい」(12年7月7日、初勝利)

 「僕がずっと気になっていて。絶対、幸せにしなくてはいけません」(14年11月8日、結婚が決まり)

 「うその供述をしました。もう迷惑を掛ける訳にはいかないと思い、真実を話しました。本当に申し訳ありませんでした」(16年3月9日、会見で)

 感謝で始まり謝罪で止まっていた。個人的には野球賭博そのものへの非難より先に、なぜ、いつから野球に打ち込めなくなったのか気になる。野球に純で2軍から駆け上がっていったルーキー時代を取材している。だからこそ、行為に至る彼の心の揺らぎ、その兆しも気づけなかった自分を含めた周囲、甘さを醸造した環境も、無念として残る。

 日本は特に若者のセカンドチャンスに冷たい。中でも野球の世界は…承知だが、パソコンに蓄積される「高木京介」は好投の記事でもっと厚くしたい。【宮下敬至】