日本ハム栗山英樹監督(58)は、喜んでいた。

5月2日西武戦の試合前。メットライフドームの三塁側ベンチに腰掛け、報道陣に囲まれた時だ。「昨日、最初にヒットを打ったのってケリーだったでしょ?」。声のトーンは上がっていた。

ケリーとは、昨年12月に日本ハムからトレードで移籍したヤクルト太田賢吾内野手(22)のことだ。日本ハム内での愛称はケリー。だから、指揮官も親しみを込めて、そう呼ぶ。

太田は1日DeNA戦(横浜)で「1番三塁」でスタメン出場。1回表の先頭打者として、午後2時1分に12球団の選手で最初に「令和初安打」を放っていた。栗山監督は「新聞で見たよ。そういうのは、うれしい」。笑みを浮かべながら、続けた。「(日本ハムを)離れても『頑張ってくれ』といつも思っている。なかなか、ケリーなんかは注目浴びないけど、バランスのいい選手なんでね。ああやって、みんなが注目してくれるなら、うれしい」。

太田は開幕1軍こそ逃したが、4月2日に昇格。まずは代打で結果を残し、同9日広島戦(マツダ)で「1番三塁」でスタメン出場すると、いきなり猛打賞の活躍。そのまま主に切り込み隊長として、新天地で売り出し中だ。本職の遊撃や二塁も含めて、レベルの高い守備力を誇るユーティリティープレーヤー。ポテンシャル開花を願って送り出した球団、そして栗山監督にとっても、うれしい活躍ぶりなのだ。

平成から令和に時代が変わる節目に、チャンスをつかんだからこそ太田は球史に名前を残した。栗山監督は「そういう意味では、こういうふうに時代が変わるということは、みんなが違う視点で何かを見たり、モノを伝えたりするので、プロ野球にとっては、いいことなのかなぁ、と思う」と感慨にふけった。

ちなみに、栗山監督はヤクルトに在籍した現役時代、平成初アウトを記録した。平成元年4月8日。開幕戦の巨人戦(東京ドーム)に「1番中堅」でスタメン出場した。「あの時は、午後1時スタートだったんだよ、あそこだけ」。予定された6試合で最も早く試合が始まった。平成初安打の大チャンスだったが、「オレの場合は、アウトだったんだよね」。巨人の開幕投手、桑田の前に遊ゴロに抑えられた。

その30年後、自身と同じヤクルトの背番号46を背負った太田が、まるで過去の借りを返すように令和時代のプロ野球初安打を記録した。不思議な巡り合わせであり、数奇な縁も感じた。新時代も、やっぱり、プロ野球は面白い。【日本ハム担当=木下大輔】