高校時代に諦めた甲子園のマウンドを、大人になってから目指す男がいる。阪神福永春吾投手(25)は、17歳で丸刈りをやめた。右肘ケガの影響もあり、金光大阪からクラークに転学。転学先に野球部はなく、そっとボールを置いた。グラブの手入れをすることも、泥だらけのユニホームを洗濯することもない。大好きな野球を辞めた。

ため息をしまい込んで、必死に笑顔を作った。小学1年生から「高槻タイガース」で野球を始めた。金光大阪では1年秋から背番号1を背負った。希望にあふれる野球人生に、待っていたのは挫折だった。

「まさか、途中でやめるとは思ってもなかったので…」

そんな福永の心を突き動かした瞬間がある。18歳の夏、画面越しに甲子園を見たときだ。大阪桐蔭が優勝。ナインがマウンドに集まり、藤浪が両手を上げていた。「素直に、野球やりたいなぁ…って。なんで野球を諦めたんだろうと。まだ自分にもできるんじゃないか? って。そのとき、絶対にやってやろうと思いました」。家を飛び出して、近所の公園でスパイクを履いた。だが、キャッチボール相手はいない。壁当て、ランニング、筋トレ…。やると決めたら、1人でも関係ない。覚悟を持って突き進むだけだった。

野球を忘れたことなんて、1度もなかった。市場でアルバイトをしているときのこと。山積みの段ボールを運ぶ日々。箱の中のジャガイモを見れば、ボールの縫い目が脳裏をよぎった。「こう握ればスライダー、こうすればツーシーム。フォークもイメージして。カーブは肘を高く上げて、うまく抜こうとか。野球の練習はしてなかったけど、イメージトレーニングはできていました」。高校野球から離れても、次のステージを見据えていた。

独立リーグ・大阪06ブルズのトライアウトを受験。その後は、四国ILの徳島インディゴソックスに移籍した。着実に成長する姿をスカウト陣に認められ、16年阪神からドラフト6位で指名を受ける。想像を絶する努力が実を結んだ。

まだまだ、このままでは終われない。プロ3年目の今季はここまで2軍で28試合に登板。1勝1敗5セーブをあげ、防御率2・45と順調にアピールしている。

甘さに負けず、自立した練習ができる。シーズンオフ期間も「絶対に強くなりたい」と休まずに体を追い込んだ。「本気で無理だ…と思った段階から、あと5回…。いや、10回は頑張るんです。そうでないと、自分はダメなので」。懸命に筋力アップに努めた結果、直球の威力は向上した。その成果は数字が証明する。

28日のウエスタン・リーグ中日戦(丸亀)では自己最速となる157キロを計測。その直前にも156キロを連発しており、スピードガンの故障ではなさそうだ。見違えるほど上がった球威に球場全体が騒然とした。

今季1軍登板は3試合。鳴尾浜で悔しさを押し殺して、汗を流してきた。思い通りにならない日々も、決して無駄じゃない。何度でもはい上がる。「1度は諦めた野球人生。でも、心のどこかで自分の夢を簡単には捨て切れなかった。それは今も同じ。また甲子園のマウンドに戻れるように、必死にやるだけです」。25歳。まだ、描いた夢の途中にいる。確かな1歩を踏みしめて、福永は甲子園のマウンドに向かう。【阪神担当 真柴健】