<ロッテ6-1日本ハム>◇23日◇ZOZOマリン
福浦にしか分からない“孤独”だった。17年1月。那覇の自主トレを取材した時だ。「去年、大松もサブローもいなくなって。メンタルに来たよ。分かんないだろう!? 俺より先にやめるなよ…寂しいよ。後輩、同期がどんどんいなくなる」。大ベテランゆえの苦悩、心の叫びを聞いた。
やめる後輩たちは、口をそろえたように「2000本、打って下さい」と言う。応えたい気持ちはあっても、簡単なことではない。結局、そこから2シーズンかかってしまった。現役の終盤は、周りの期待、託された思いとも戦っていた。
誰からも好かれる。人の良さ、優しさからだろう。ただ、それゆえ後悔したこともある。16年4月、元ロッテ監督の山本功児氏が亡くなった。1年目に投手から野手へ転向を勧めてくれた恩人との最後の会話を逃した。「こんなに早いとは。電話しておけば良かった」。前年秋、同氏の長男武白志がDeNAにドラフト指名されたが、育成だった。お祝いの電話をしようとしたが「テレビで(同氏の)あの顔を見たらね。支配下なら、したけど」。複雑な心中を思い、かけられなくなった。そのまま、永遠の別れを迎えてしまった。
聞かれなくても「こう打ったら」と悩める後輩に助言を送るのはしょっちゅうだった。ラストゲーム。ウイニングボールがミットに収まったのは、後輩たちの恩返しに思える。【15~17年ロッテ担当=古川真弥】