娘が文字通りのくぎ付けとなり、テレビの前で固まった。「この『ボールの人』…すごいねぇ」。野球選手を「ボールの人」と言う3歳。ゆっくり周回する巨人阿部慎之助捕手(40)を見てつぶやいた。

39度の発熱で幼稚園を休んでいたのに、すっかり元気になっている。通算406号を放った9月27日の東京ドーム。すっ飛んでいった打球は、ちゅうりっぷ組に通う年少さんをとりこにする力があった。

翌日、ラグビーW杯で日本がアイルランドに勝った瞬間、娘は文字通り小躍りして、拍手をしながらこう言った。「パパ! ちゅうりっぷ組が、草組に勝ったよ! やったぁ」。ユニホームの色で判断しているようだが、この勝利もまた、3歳の本能を揺さぶるに十分の力があった。透明な少年少女を喜ばせてこそ本物のプロ。ベーブ・ルースの時代から変わらない。

子どもだけではない。阿部慎之助とは、こちらが抱く期待にいつも応えてくれそうな雰囲気をまとう、絵に描いたようなプロ野球選手だった。

「ちょっと嫁さんの具合が悪くて、元気がなくてさ。家で『阿部ちゃん、打たないかな』って楽しみに見てるから。だから今日、打ってよ」

「そんなコト言われても…まぁでも、そんなことなら頑張りますよ」

気は優しくて力持ち。黒いバッグに白木のバットを突っ込んで、うつむき気味にトコトコと向かってくる姿を見ると、思わず頼みたくなる。勝手なお願いをしたことも1度ではない。

「宮下さんは簡単に『打てる』とか『打って』と言いますけど。そんなに簡単に打てるモノじゃないんですよ」。決まってこう返した阿部の、予告ホームランを目の当たりにしたことがある。08年11月6日、日本シリーズの第5戦。西武涌井からバックスクリーンへ放った1発。

海外FA権を行使する上原浩治、最後の登板。右肩を痛めた阿部はバッテリーを組めず、指名打者での出場になった。グラウンドへ向かう西武ドーム名物の長い階段で「東京ドームに戻ればまた代打。今日しかない。打つのは問題ないけど、投げることができないんです。上原さんとバッテリーを組めない。涌井は難しい。けど自分が打って、今日は勝ちます」と鬼の形相で言われて鳥肌が立った。

2回の第1打席、初球。一振りで有言実行した。その瞬間、自分の中で阿部はいち取材対象から、少年少女の思考と何も変わらない存在に昇華した。

こと極限で「誰かのために」を技術に落とし込み、最高の結果として出せる。それが本物のプロだ。「まだ先がある」と涙を見せない阿部。たくさんの思いを背負う晩秋のビッグゲームに何を見せ、有終の美を飾るか。【宮下敬至】

◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍、現在はデスク。