気がついたら、背番号115の背中をじっと見つめていた。

2月28日、ソフトバンク対オリックスの練習試合の前、宮崎アイビースタジアムでソフトバンクが打撃練習をしていた。三塁側ベンチの前でキャッチボールしていたのが背番号115の左腕だった。これからの「登板」に備え、左肩を仕上げていた。

浜涯泰司さん。50歳。1992年(平4)ドラフト3位で当時のダイエー(現ソフトバンク)に入団した。実働5年間で1勝に終わり99年限りで現役を引退した。現在は打撃投手を務めている。

彼を知ったのは、プロ入り前の91年。九州国際大4年生の時、九州6大学リーグを代表する左腕として君臨していた。記者ルーキーだった私は、ドラフト候補生として必死に追っかけていた。あれから30年。「お互いに年とったね」。球場で会うたびにそう声をかけてくれる。白髪交じりであるが、まだ「ユニホーム」を着ている。

恥ずかしながらその日、打撃練習の登板を初めてじっくり見つめた。松田、川島、中村晃、長谷川の4人を相手に合計107球を投げ込んだ。川島の時はカーブも交えたため打者が見送った「ボール」は12球になったが、松田には25球中、1球も「ボール」はなかった。

昨年1月、内川の自主トレを取材した際、参加していた浜涯さんが言った。「選手が1年間の体力を作るのが自主トレ。僕ら打撃投手も体力をしっかりつけないと1年持たない」。制球力はもちろん、年間で投げ続ける体力をつくるのは選手と同じだ。キャンプではほぼ毎日100球以上を投げ続けた。それはシーズンが始まっても試合がある日は「登板」する。50歳でこなしている姿には頭が下がる。

小久保ヘッドコーチが侍ジャパン監督を務めた時も含め、2度侍の打撃投手も務めた。「50歳になってまだ投げている人は、そうおらんやろうね」。浜涯さんは、そう言って笑う。目尻のシワが深かった。00年から「115」を背負う左腕は、まさにチームの黄金時代を陰で支え続けている。【ソフトバンク担当=浦田由紀夫】