25年ぶりの日本シリーズを戦っているオリックス。「バファローズ」は実は、同球団4番目のニックネームである。

新しい順番に挙げると、05年に近鉄と合併してからの現球団名。91年に改めた「ブルーウェーブ」。前身球団の阪急時代から、90年シーズンまで名乗っていた「ブレーブス」。そして超短命に終わった「ベアーズ」だ。

終戦直後の混乱からプロ野球が再開され、2年目を迎えた1947年(昭22)のことだ。前年46年には1リーグ8球団中4位に甘んじた阪急は、ニックネームを採用し出直しを図った。「たくましく、愛される球団」として「熊」を表す「ベアーズ」と名付けられた。白地のユニホームに流れるような字体で「Bears」と記され、帽子には阪急の「H」。後に通算237勝を挙げる名投手野口二郎や、じゃじゃ馬の愛称で親しまれた強打者青田昇らが袖を通した。

ところが、オープン戦での戦績がパッとしない。また英単語「bear」には、株式用語で「弱気」などといった意味もあり、球団は早々と名称変更を決める。一般公募には「エレファンツ」「ドラゴンズ」など多数の応募がある中から「勇者たち」を表す「Braves」に決まった。開幕当日、4月18日のことだった。

新装なったブレーブスは、同日の開幕戦で南海(現ソフトバンク)戦で黒星発進。翌日19日に初勝利を挙げたものの、第3戦から7連敗を喫した。6月6日には、なんと没収試合の憂き目にも遭っている。後楽園の試合だったが、宿舎の千葉・松戸市が雨のため、球団側は試合中止と判断。チームが球場に向かわなかったことから起きた珍事だった。ベアーズ、そしてブレーブス。2つの名前を名乗ったこの年は、58勝57敗4分けの勝率5割4厘で、8球団中4位に終わった。

88年オフには阪急からオリックスへと球団譲渡、91年には神戸移転、そして04年には近鉄との合併。数奇な運命をたどった球団は、オリックス・バファローズとしては初の日本シリーズを戦っている。人知れず姿を消した「ベアーズ」に源を持つ老舗の、ブレーブス、ブルーウェーブに続いての日本一はなるか。中嶋聡監督(52)は「阪急」時代に入団し最後までプレーした選手でもある。英単語「bear」には、熊のほかに「花をつける」「実を結ぶ」という意味もあるという。【記録担当 高野勲】

阪急ベアーズに在籍した名投手・野口二郎
阪急ベアーズに在籍した名投手・野口二郎
1988年10月23日 阪急ブレーブスラストゲーム サヨナラ阪急の文字をバックにナインから胴上げされる上田利治監督
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1996年10月24日 日本シリーズ第5戦 巨人を下して日本一となり、胴上げされるオリックス仰木監督
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2004年9月27日 ブルーウェーブラストゲーム ラストゲームを終えたオリックス・伊原春樹監督は、ファンに手を振る
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