中日福留孝介外野手(45)が今季限りでの現役引退を発表した。

「最後の甲子園」となった今月12日の阪神戦。登録はされていなかったがフリー打撃を行った。午後5時11分。中日の打撃練習が残り4分というところで背番号9が打撃ケージに入った。気付いた両チームのファンから拍手が起きた。

体調万全ではなかったが、打撃投手が投げ込むボールを次々とヒットゾーンに飛ばしていく。中日ナインも阪神ファンも手を止めて、独特の大きなフォロースルーに見入った。

「ドラゴンズ、バッティング終了」のアナウンスが聞こえてから、福留は“おかわり”の1球を要求した。力を込めて振り抜くと、打球は右翼ポール際スタンドに飛び込んだ。甲子園での最後のスイングを本塁打で締めたのだから、さすが元高校野球のスターだと思わざるを得なかった。

PL学園(大阪)の福留は当時、圧倒的な存在だった。震災で開催が危ぶまれた95年のセンバツは開幕前から「福留の大会」とも言われていた。初戦の銚子商(千葉)戦でバックスクリーンに3ランをたたき込んだが、惜しくも敗退した。

大会前、2年の冬にオーストラリアで行われた第1回AAA選手権に高校日本代表の主砲として出場。優勝に導いていた。記者のチームメートも代表に選ばれていたのだが、帰国してからは「福留がいかにすごいか」の土産話に延々と花が咲いた。当時使っていたバットは高校球児の間で大流行。打撃フォームをまねた球児も多かった。当時は良しとされなかったシングルハンドキャッチやジャンピングスローの遊撃守備にも華があった。

同世代の中では比類のないシンボリックな存在。「松坂世代」の松坂大輔に似たものがある。3年早く中日入りしていた荒木雅博内野手守備走塁コーチにとっては同志であり、ライバルであり、あこがれの選手。「あいつだけは特別」と、ことあるごとに言っていた。2年前、コーチと現役という立場で再び中日で一緒になり、喜んでいたのが印象的だった。

「俺の選手人生も、これで本当に終わりだよ」。福留の引退に際して、寂しく笑った。独特の言い回しには、2人の関係性と、存在の大きさがよく表れていて、妙に腑(ふ)に落ちた。【柏原誠】