センバツが行われていたら、ぜひとも注目したい選手がいた。東海大相模(神奈川)・加藤響内野手(3年)だ。東海大相模といえば、主将で投打二刀流の山村、高校通算53本塁打の西川、そして2年生でU18日本代表にも選ばれた切り込み隊長・鵜沼のプロ注目トリオが有名だ。そこに、加藤が“4人目の男”として名乗りを上げていた。

19年10月、秋季関東大会の東海大相模-駿台甲府戦、加藤響(右)は左越え満塁本塁打を放ちタッチ
19年10月、秋季関東大会の東海大相模-駿台甲府戦、加藤響(右)は左越え満塁本塁打を放ちタッチ

昨秋、ブレークした。関東大会1回戦の駿台甲府(山梨)戦で満塁本塁打。年内最後の練習試合、11月30日の富士市立(静岡)戦では1試合3本塁打を放った。「あの3人(山村、西川、鵜沼)はすごい。その中に自分が入っていると周りから認められたら自信もつきます」と話した後、こう続けた。「1つ1つの行動を良くして、周りから認められるようにならないと応援してもらえません」。

「プレー」ではなく「行動」と言った。思い出されるシーンがある。昨夏甲子園期間中のこと。初戦の近江(滋賀)戦に快勝し、次の中京学院大中京(岐阜)戦に向けた練習日だった。加藤は1人だけ、グラウンドに入れてもらえなかった。あろうことか、練習用ユニホームを宿舎に忘れてしまったからだ。最初は泣きそうな顔で通路に突っ立っていた。やがてコーチに促され、バットを持って素振りを始めた。そうするしかなかった。3日後。出番がないまま、チームの逆転負けを見届けた。

なぜ、ユニホームを忘れてしまったのか。今年1月24日、センバツ出場が決まった時に聞いた。「自覚がなくて、自信を持てずにいました。その不安が出たんだと思います」。近江戦は9番二塁で先発出場したが、2打席凡退で途中交代。初めての甲子園で思うプレーができなかった。

そのまま埋もれていたら、その後の活躍はなかった。苦い経験から前へ進んだ。技術的には、安定しなかった打撃フォームを固めた。バットのトップを投手に向け、ヘッドを利かせた。「まだまだ実力は足りません。内野をまとめる存在にならないと」と自覚を口にする。さらに「今は自信を持ってやれています」。自覚も、自信もなかった昨夏とは見違えた。ユニホームを忘れた日「練習に参加する資格がない」と切り捨てた門馬監督も「加藤が3番なら厚みが出る」と、主軸候補に置くようになった。

1月、東海大相模のセンバツ出場が決まり笑顔を見せる、左から加藤響、山村崇嘉、西川僚祐
1月、東海大相模のセンバツ出場が決まり笑顔を見せる、左から加藤響、山村崇嘉、西川僚祐

加藤自身は将来への思いが変わり始めた。注目されたことで「もっともっと、上に行きたい気持ちが出てきました」とプロを意識するようになった。センバツの結果次第で未来が変わるかもしれない。そんな気持ちが芽生えていたところでのセンバツ中止だった。

加藤だけではないだろう。甲子園で名を上げ、道を切り開こうと狙っていた球児は多いと思う。その機会が失われた。全国大会中止は、評価が固まっている選手よりも、浮上中の選手の方が被る影響が大きい。最後の夏だけは無事に迎えられますように。一記者というより、一野球ファンとして、願ってやまない。【古川真弥】