東北育ちの身にも、北の大地の寒さは段違いだった。鳩原翔さん(26)は「雪は落ち着いてきましたけど、今年は多い。2月も何回か通行止めになりました。やはり仙台と比べると寒いですね」と穏やかに話した。NEXCO東日本(東日本高速道路株式会社)勤務。昨年7月からは北海道支社室蘭管理事務所で働く。

NEXCO東日本北海道支社室蘭管理事務所に勤める東北大OBの鳩原さん(本人提供)
NEXCO東日本北海道支社室蘭管理事務所に勤める東北大OBの鳩原さん(本人提供)

学生時代は、仙台6大学を代表する巧打の外野手だった。東北大1年春にデビューし、秋に優秀新人賞。2年秋に最多盗塁。ベストナイン3度。通算80安打を重ねた。さらに、4年の17年秋にプロ志望届提出。東北大からは初だった。「高校では全然打てなかったけど、大学で成績を残し、さらに挑戦してもいいのではという思い。もう1つは、私が出すことで東北大野球部が注目され、活性化すればという思いでした」。指名はなかったが、貫いた。

野球と学問を両立させた。根底には、10年前の体験がある。仙台市内の自宅は大きな被害は免れたが、ライフラインがやられた。特に水道の復旧が遅れ、1週間ほど止まった。近所の友人宅で水をもらい、しのいだ。「災害で失って初めて分かるありがたみを感じました。社会インフラ、都市計画に関わる仕事をしたいなと」。仙台二で野球漬けの球児に進む道が見えた。

1浪した13年、楽天が日本一になった。予備校に通う日々でも、盛り上がりはひしひしと伝わってきた。野球は高校でやめるつもりだったが「自分と向き合う時間が多かった」。改めて大学で学ぶ意味を考え、野球を続ける意志を固めた。

東北大工学部に進学。建築・社会環境工学科で「人の役に立つのが見えやすい」と水環境を学んだ。卒論テーマは「浮草を用いた下水処理とバイオマス発電」。下水処理と、植物の成長と、エネルギー源確保。好循環の技術研究は「やりがいを感じました」。就職活動は初志貫徹。「インフラ企業が軸。鉄道会社も考えましたが、やはり道路は人の暮らしを根底から支えている。震災の時もいち早く復旧して、物資、人々を運んだ。特に高速道路は重要」と今の会社を選んだ。

17年3月、春季リーグ戦に向けて練習を行う東北大・鳩原
17年3月、春季リーグ戦に向けて練習を行う東北大・鳩原

この10年を、こう思う。「いろいろな変化がありました。震災を経験したことで、人々を支えるという軸が出来ました」。これからの10年を、こう考える。「自分が変える立場になる。軸はあっても、大学も会社もレールに乗ったもの。コロナもあり、変えないといけない部分が出てきている。これからは、自分の考えを持っていければ」。

2月に安里さん(25)と結婚した。高1だった球児が新たな家庭を築き、社会の核になろうとしている。10年という年月は、それだけの変化をもたらした。新居が落ち着けば草野球も再開するつもり。「次の10年、また大きな変化があると思います」。軸をぶらさず生きていく。【古川真弥】

<鳩原さんの10年>

11年3月11日 高校(仙台二)1年の終わり、部室で着替えていたら地震発生

13年 高校卒業。仙台市内の予備校に通う

14年4月 東北大工学部入学。野球部入部

17年10月 プロ志望届提出もドラフト指名漏れ

18年 東北大卒業。NEXCO東日本入社。埼玉勤務

20年7月 室蘭転勤

21年2月 安里さんと結婚