震災から10年の節目に、元楽天の横山貴明さん(29)は現役引退を決めた。「毎日、石炭まみれです。溶接したり鉄板を切ったり。昨日までフォークリフトの講習を受けてました」。福島・伊達市の自宅から片道1時間強かけて海沿いの南相馬市へ通う。職場は球場から火力発電所に、ユニホームは作業着に変わった。

福島第1原発に程近い浪江町出身。町民は避難で全国に散った。連絡を取れる友もそういない。何度か訪れた故郷は静まり返っていた。「普通に帰れれば、みんないるはずなんですけど」。地元のために-。選手として過ごした時間はその思いと隣り合わせだった。

楽天時代、予告先発で名前が出ると、ばらばらになっていた町の人々が応援に集った。「球場で久々に会う、てことが結構あったらしくて。よかったなあと。そんな機会をもっと増やしたかったけど、厳しかったですね。プロの世界は」。

18年秋に戦力外を告げられた。まだやれると思った。「ずっと横から投げてみたいって気持ちが頭の片隅にあって」。サイドスローに転向し、トライアウトを受け、海を渡った。球種が増えて、150キロが出た。NPBに戻りたい。野球で生計を立てたい。独立リーグで福島に戻った後も、挑戦の場を高知に求めた。

昨季、四国ILの防御率1・16はリーグ2位の成績。1位は聖光学院の2つ後輩でもある歳内で、NPB復帰を果たした。「歳内は奪三振が多かった。三振取れるのはでかいですよね。1位と2位だけど差があるのかなと」。状態が良くても契約に至らない。「そろそろか」。潮時が見えた。

直近2年は武者修行だった。渡航費は自腹。米国までテストに行っても、コロナの影響で短期の帰国を余儀なくされた。英会話教室に通ったが、入団が決まったのはまさかのメキシコ。スペイン語通訳機を片手に、集合時間を理解するだけで一苦労だった。夜は銃声が響き、宿舎で毒殺事件が起きたことも。「何をやるにしても怖くなくなりましたね」。心が鍛えられた。

10年間、シーズンを通して投げ切れたことは1度もない。「うまくいかないことばっかりで。常にもがいてた感じはします」。恩師は背中を押してくれた。聖光学院の斎藤智也監督は「やれるとこまでやったらいい」と見守ってくれた。

道を切り開いてくれたのは、中3時のシニアの渡辺潤也監督。「全然上手じゃなかったのに、絶対プロになれると言って内野から投手にしてもらった。未来が見えていたのかも」。渡辺さんは震災で、消防団員として救護活動にあたり津波に巻き込まれた。見せることはできなかったが、信じてくれた未来をかなえた。

あの時は家族とも3日間、連絡がつかなかった。「完全に流されたと思ったんですよ。1回いなくなったもんだと。それからは、家族とのつながりをすごく感じるようになりましたね」。火力発電所の設備設置とメンテナンスは家業で、父の会社を支える形になる。今は勉強中の身だ。

「浪江や浜通りの仕事が多いので、地元に還元していけると思います。まず仕事を覚えて、ある程度整ったら野球でも貢献していきたい」。シニアでともにプレーした元DeNA赤間も今年、地域振興のため地元楢葉町に戻った。来月には30歳になる。家族を、故郷を大切に、また新たな10年を歩き出す。【鎌田良美】

<横山さんの10年>

◆11年3月11日 早大1年、沖縄合宿中に地震発生

◆13年10月 楽天からドラフト6位指名

◆14年8月 史上初となるデビュー戦1球勝利投手に

◆18年10月 戦力外通告

◆19年2月 サイドスロー転向で海外挑戦

◆同年3月 北米独立リーグと契約

◆同年5月 渡米前にメキシカンリーグからオファー。メキシコシティー移籍

◆同年6月 BC福島にコーチ兼任で入団

◆同年11月 国内外多くのトライアウトに参加

◆20年8月 四国IL高知に入団

◆21年1月 現役引退を決断