2005年(平17)の球界参入から楽天がキャンプを張ってきた沖縄・久米島。那覇から西へ100キロの離島は、コロナ感染者の入院できる病院が1つしかない。久米島病院の病床数は軽症用が5、中等症が1。医療体制を考えると、撤退という決断をせざるを得なかった。

観光業が生命線。楽天は閑散期の2月を救ってくれた。キャンプ中に訪れる観光客は、1人あたり平均で6万円を消費するとされる。昨年は約5500人が球場で応援した。10月、久米島町の担当者は仙台の球団事務所に行き、膝つめで開催を求めた。1カ月後、立花からキャンプを見送る連絡が入った。同町商工観光課の宮里学は「久米島を守るために、判断をしてくれたんだと思います。もちろん、経済面の影響はあります。ただ、制限がある中でキャンプを受け入れる自治体の負担も大きい」と受け止めた。

2月中旬、記者はプロペラ機で那覇から久米島へ向かった。

12年2月、久米島キャンプのブルペンで投球する田中。右は佐藤投手コーチ
12年2月、久米島キャンプのブルペンで投球する田中。右は佐藤投手コーチ

空港の到着ロビーには、楽天のユニホームやサインの入った写真が飾られていた。1年前と変わらぬ風景は、レンタカーを走らせると変わっていた。海風になびくサトウキビ畑を3キロほど縫って、久米島球場に着いた。道中、人の気配はなかった。

かすかにエンジン音が聞こえた。頼りにスタンドを歩いた。使う人のいない天然芝は丁寧に整えられて、南国の日差しによく映えた。整備車を運転していた男性に声をかけた。「いつもは選手やファンでにぎわっているので…心にぽっかりと穴があいた感じですよ」とつぶやいた。同町環境保全課施設管理班の赤嶺永樹は、10年以上グラウンド整備を担当しているという。

2月1日のキャンプインから逆算し、3カ月前に土入れを行い、芝の生育と管理も並行させる。来年の2月1日は、必ず球音と歓声が響く-。そう信じて逆算して、手入れをしていた。「マー君が投げた後は、他の投手よりも土が掘れているんですよ。子どもたちは、野球教室など楽しみにしていたと思う。残念ですね…」。目を赤らめながら教えてくれた。

久米島島民は心から野球人たちを歓迎し、絆を深めてきた。練習を終えると公民館に集まって、交流会を開いた。町長、お年寄りに子ども、警察官。三線の音色に乗って、一緒になって踊った。16年の歳月をかけ育んだ縁は、単なる観光資源という関係をはるかに超えていた。

楽天久米島キャンプ 久米島の特産品を贈呈され笑顔の楽天三木肇監督(2020年2月2日撮影)
楽天久米島キャンプ 久米島の特産品を贈呈され笑顔の楽天三木肇監督(2020年2月2日撮影)

コロナが理由で縁を終わらせるわけにはいかない。おおらかな離島が変わり始めた。今年キャンプを行った沖縄本島の自治体に連絡を取り、感染対策の調査を進めている。球団と話し合いも継続している。宮里は誓うように言った。「以前のように、久米島で安心してキャンプを開催していただけるよう、準備を進めていきます」。(文中敬称略)【桑原幹久】